東京などからお客様を迎え、松本市で会議や視察、懇親会を開催しました。視察にどちらへ行ってもらうか、松本市内、安曇野、周囲の高原など候補を出して検討しましたが、時間に限りがあることもあり、松本市街中心部の「旧開智学校校舎」と「松本城」にしました。今年は梅雨が続き、当日も雨模様だったので、結果的によい選択になりました。
7月18日(木)の宿泊は、美ヶ原温泉の「ホテル翔峰」にしましたが、大きなお風呂に皆さん満足されたようです。以下、訪れた場所の様子です。
【旧開智学校校舎】
「旧開智学校校舎」については、現在国の重要文化財ですが、国宝になることが決まっています。
擬洋風の校舎です。
ボランティアの方から説明を受けました。
教室の様子。昭和30年代だそうです。
鬼瓦。大きくて重く、屋根へ挙げるのに分割して上げたそうです。
懐かしい石炭ストーヴ。
1階から2階へ通じる廻り階段。横の丸い通し柱は、廃寺になった全久院からもってきた部材。
彫刻がついた桟唐戸。これも廃寺のものを使用しています。廃仏毀釈の際に、そのまま捨ててしまうのではなく、こういた学校建築に使用された例があるというのは、初めて知りました。
校長室。
料理屋への奉公や芸妓修行で時間の確保が難しい子供向けに特別学級が設けられていたとのことです。国語や算数などが教えられたようです。
特別学級卒業時の答辞が展示されていました。文字を習い手紙をかけるようになったことを感謝する内容です。
【松本城】
天守の築造年代は、石川康長による文禄2~3年(1593~4年)と考えられています。石川氏は、豊臣秀吉から関東の徳川家康を監視する役目を授かり、そのために、この城を建築したそうです。最初の藩主は、豊臣任命で、次からは全て徳川幕府の任命になりますが、豊臣任命は、不明にして今回初めて知りました。
最近、外国の方に人気があるようです。
一帯は松本城公園として整備されています。
黒門から入ります。
本丸御殿跡のあたりを歩いて、天守へ向かいます。
床はよく磨かれています。
火縄銃や甲冑の展示もあります。外国の方に大人気でした。
階段は急です。
狭い窓からの眺め。
最上階(天守六階)。天井は井桁梁が組まれていて、これは是非見るように案内されました。
順路のとおり下りてくると、月見櫓を通ります。泰平の世になって月見をするために増築された部分です。
外を広く見ることができます。
外へ出てきて、月見櫓をみたところ。
庭の隅に紫陽花が咲いていました。
黒門に向かいます。黒門は、本丸に入る正門です。
バスの駐車場に向かいます。城の近くの喫茶店「紫陽花」ですが、欧米からと思われるお客様が多数入っていました。
盆地の松本には井戸が多いです。
【本日の宿 ホテル翔峰】
住所:長野県松本市大字里山辺527
電話:0263-38-7711(代)
ホームページ:hotel-shoho.jp
美ヶ原温泉で最も大きな宿です。
雨で北アルプスなど山は全く見えませんでした。