高校時代、「唐詩選」を読むのが就寝儀式だった。難解ゆえに眠りを誘うからである。
社会人になってからはちょっと進歩して、意味を半解した状態で眠りに就くことも多くなった。今は唐詩選ではなく、NHKカルチャーアワーの「漢詩への誘い」を時々「寝る前に読む。
漢字は言うまでもなく表意文字であり、ひらがなのような表音文字とは対照的に、「音」ではなく「イメージ」の喚起力が強烈である。
例えば、柳宗元の詩、
破額山前碧玉流
(はがくさんぜん へきぎょくのながれ)
と来ただけで、緑の山の前をジャスパー色の川が流れている光景が目に浮かぶ。
・・・かくして、バーディーは眠りに就くのであった。
社会人になってからはちょっと進歩して、意味を半解した状態で眠りに就くことも多くなった。今は唐詩選ではなく、NHKカルチャーアワーの「漢詩への誘い」を時々「寝る前に読む。
漢字は言うまでもなく表意文字であり、ひらがなのような表音文字とは対照的に、「音」ではなく「イメージ」の喚起力が強烈である。
例えば、柳宗元の詩、
破額山前碧玉流
(はがくさんぜん へきぎょくのながれ)
と来ただけで、緑の山の前をジャスパー色の川が流れている光景が目に浮かぶ。
・・・かくして、バーディーは眠りに就くのであった。