カラオケのヤンキー経済化?なぜ年々、過去曲が歌われる傾向が強まるのかを検証
最近ではめったにカラオケに行くことはないけれど、私の大学時代は、おそらく日本におけるカラオケ最盛期であった。カラオケ店は、例えば神田であれば、今の3倍近くはあったと思う。それが、平成10~15年の間にバタバタ閉店したという記憶がある。
社会人になれば、仕事が忙しいため、新曲を逐一フォローするのは難しく、数年前のヒット曲、あるいはなつかしい曲しかレパートリーに入らなくなるのは一般的な傾向のようだ。かくして人は「おじさん」化する。
だが、それだけが理由ではない。「過去曲」というのは、時間というフィルターをくぐりぬけてきただけのことはあって、やはり「良い曲」なのである。最近の歌番組をみると、つくづくそう思う。
最近ではめったにカラオケに行くことはないけれど、私の大学時代は、おそらく日本におけるカラオケ最盛期であった。カラオケ店は、例えば神田であれば、今の3倍近くはあったと思う。それが、平成10~15年の間にバタバタ閉店したという記憶がある。
社会人になれば、仕事が忙しいため、新曲を逐一フォローするのは難しく、数年前のヒット曲、あるいはなつかしい曲しかレパートリーに入らなくなるのは一般的な傾向のようだ。かくして人は「おじさん」化する。
だが、それだけが理由ではない。「過去曲」というのは、時間というフィルターをくぐりぬけてきただけのことはあって、やはり「良い曲」なのである。最近の歌番組をみると、つくづくそう思う。