元裁判官が語る判事の劣化、「目を疑うような判決も」
「エリート裁判官を含め、当事者の目線で考えられなくなっている。何を裁いているのかという問題意識も希薄だ。介護を取り巻く現代日本の社会情勢を無視し、法律を杓子定規に適応していると言わざるをえない。一昔前ではありえなかったような、社会のひずみの全責任を弱者に押し付ける「非常識判決」という印象は強い。」
サッカーボール事件もそうだが、最近、常識と乖離した下級審判決が出るケースが散見される。
認知症老人の徘徊については、家庭で一日中監視するのは無理だし、施設に入所するのも容易ではないという社会背景があるのに、一審・控訴審はそれを考慮しなかったということのようである。
瀬木元裁判官が言いたいのは、「介護する身にもなってみろ」ということのようだが、転勤族の裁判官が親を介護するというのはあまり考えられないので、介護を実体験したことのある裁判官は少ないのだろう。
「エリート裁判官を含め、当事者の目線で考えられなくなっている。何を裁いているのかという問題意識も希薄だ。介護を取り巻く現代日本の社会情勢を無視し、法律を杓子定規に適応していると言わざるをえない。一昔前ではありえなかったような、社会のひずみの全責任を弱者に押し付ける「非常識判決」という印象は強い。」
サッカーボール事件もそうだが、最近、常識と乖離した下級審判決が出るケースが散見される。
認知症老人の徘徊については、家庭で一日中監視するのは無理だし、施設に入所するのも容易ではないという社会背景があるのに、一審・控訴審はそれを考慮しなかったということのようである。
瀬木元裁判官が言いたいのは、「介護する身にもなってみろ」ということのようだが、転勤族の裁判官が親を介護するというのはあまり考えられないので、介護を実体験したことのある裁判官は少ないのだろう。