トリプル・コンチェルト
「この曲は20世紀半ばまで、今では信じられないほど不評、無名で、「駄作」扱いする研究者も多かった。ベートーヴェン先生のこんなオモシロ・コンチェルトがかつては「駄作」扱い?!」
英雄
「もうひとつ勝手な評価ながら、シンフォニー・コンサートの場でベートーヴェン『英雄』とチャイコフスキー『悲愴』のどちらか、または両方を指揮して感動を与えてくれる人は、それだけで真の意味で「巨匠指揮者」と言える。過去の実績から行ってもチョン・ミョンフンは正に「両方」に該当。さらにはマニアックな興味として、第1楽章コーダでの例のトランペット主題の扱いはどうなるのか、第2楽章135小節からのホルンによる信号音型は譜面通り1人なのか、通例で3人で勇壮に吹かせるのか、第3楽章のテンポは、最終楽章の扱いは、使用楽譜は新・旧ブライトコップのどちらなのか最新のベーレンライターなのか、東京フィルの演奏人数と配置は今回はどうなのか、マエストロはいつものように暗譜なのか、などなど俗な興味もまた尽きない。そして何よりも、今回はどのようなインパクトと感動が得られるのか。これはもう「聴くしかない」」
「トリプル・コンチェルト」はおそらく演奏機会が極めて低いため、ぜひ生で聴いておくべき曲である。
ところが、研究者の中にはこの曲を「駄作」扱いする人もいたらしく、ロバート・マーコウさんも "black sheep" という言葉で表現している。
もっとも、実際に聴いてみると、テンポがよくてソリストとオケとの掛け合いもあり、退屈しない良い曲である(傑作とまでは言えないのかもしれないが)。
メインの「英雄」は、傑作であるがゆえに随分マニアックな聴き方をする人がいて、上に引用したのが正しくその例だろう。
昨年9月にもロンドン・フィルで聴いているのだが(マグマの噴出と完璧な調和)、今回の東フィルの演奏も非の打ちどころがなく、練度が高そうである。
ちなみに、マエストロは本日は終始暗譜であった。
それにしても、ベートーヴェンは、2楽章:葬送行進曲→3楽章:スケルツォという、地獄から天国への展開を好むのだが、その理由に関する彼の答えを想像してみた。
「地獄や苦悩を経験しなければ、真に天国や歓喜を味わうことは出来ず、私の中の神を目覚めさせることは出来ないのだ」
これと同じ伝で、「たまには駄作を混ぜないと、傑作が際立たない」ということもあったりして?