「「きらら浮世伝」は、1988年に東京・銀座セゾン劇場で、中村勘三郎(当時五代目勘九郎)が、“蔦重”こと蔦屋重三郎を演じて話題を呼んだ作品。重三郎を中心に、喜多川歌麿、葛飾北斎、山東京伝、滝沢馬琴、恋川春町、大田南畝ら江戸時代に活躍した芸術家たち、そして吉原の遊女お篠らの物語が、青春群像劇として描かれる。・・・
また稽古では、たった一言のセリフを千本ノックで繰り返すような厳しい演出で、しかも怒鳴るのではなく、ニコニコとしながら何度も繰り返すんです。・・・さらに「勘三郎さんはその河合さんの熱さ、情熱みたいなものに心酔していたところがあり、稽古場では勘三郎さんが監督の無理難題にすべて答えていくので、台本もどんどん熱いものになっていきました」と振り返った。その熱演ぶりを表す出来事として、上演中に一度、勘三郎のカツラが飛んでしまったことがあったという。しかし勘三郎は、外れたカツラをつかんで重三郎を演じ続けたと語った。」
昼の部最後の演目は、「きらら浮世伝」。
昭和63(1988)年3月に銀座セゾン劇場で上演された芝居のリメイク版だが、当時のキャスト(銀座セゾン劇場 1988年03月 昼の部1 きらら浮世伝(キララウキヨデン))が凄い。
五代目勘九郎、故川谷拓三、原田大二郎、美保純、さらに何と黒子役として六角精児まで出演している。
このキャスティングであれば、爆発するのも当然だろう。
さて、リメイク版の方は、まずまず楽しめたのだが、私は途中から既視感を覚えてしまった。
そのきっかけは、勇助にいい絵を描かせるために、重三郎が自分の恋人であるお篠を呼び、一夜を共にさせる場面である。
(余談だが、谷崎潤一郎であれば、こういうことをしてもおかしくない話である。)
ここで私は、小学生の時に観た「蒲田行進曲」(奇しくも松竹の映画で、「きらら浮世伝」の勇助役・原田大二郎も出演)のある場面が脳裏に浮かんできたのである。
こちらは、銀ちゃんがヤスに小夏を”押し付ける”という筋立てなのだが、「自分の恋人を譲る」というところで記憶が起動したのだろう。
というわけで、この後は勘九郎が平田満、七之助が松坂慶子に見えて仕方がなかった。
それほど「蒲田行進曲」の”幼児体験”は強烈だったのだ。