クロ確定の“顧客”に尽くす弁護人の「胸の内腹の内」
「弁護人は被告人を、こう説得するかもしれない。悪あがきするより潔く罪を認めるほうが情状酌量されやすく、有罪になった場合の量刑も軽くなる、と。しかし、被告人がどうしても無罪を主張すると言い張れば、弁護人はそれに従うのが職務だ。そして、無罪にはならないとしても、どうすれば少しでも量刑が軽くなるかと頭を切り替え、与えられた役割を果たすのである。」
修習生だと、こうした弁護人的な発想になじめず、被告人が正当防衛を主張している事案で情状弁護の起案しかせず、二回試験で不合格になる人もいる。
根本的な発想としては、① 訴訟においては絶対的真実を認定するわけではなく、あくまで証拠上認められる事実を認定するにすぎない、② そのためには、両当事者がそれぞれの立場で主張立証を尽くすことが必要であり、それによって訴訟的真実を可能な限り明らかにすべきである、というものがある。これがいわゆる当事者主義の思想であり、司法研修所では、刑事弁護教官が常々強調していたことである。
「弁護人は被告人を、こう説得するかもしれない。悪あがきするより潔く罪を認めるほうが情状酌量されやすく、有罪になった場合の量刑も軽くなる、と。しかし、被告人がどうしても無罪を主張すると言い張れば、弁護人はそれに従うのが職務だ。そして、無罪にはならないとしても、どうすれば少しでも量刑が軽くなるかと頭を切り替え、与えられた役割を果たすのである。」
修習生だと、こうした弁護人的な発想になじめず、被告人が正当防衛を主張している事案で情状弁護の起案しかせず、二回試験で不合格になる人もいる。
根本的な発想としては、① 訴訟においては絶対的真実を認定するわけではなく、あくまで証拠上認められる事実を認定するにすぎない、② そのためには、両当事者がそれぞれの立場で主張立証を尽くすことが必要であり、それによって訴訟的真実を可能な限り明らかにすべきである、というものがある。これがいわゆる当事者主義の思想であり、司法研修所では、刑事弁護教官が常々強調していたことである。