(ラフィトー(Joseph-François Lafitau)の言葉の引用)
"・・・parmi ces coutumes, l y en avait de générales, fondées sur les premières idées que les pères des peuples avaiesnt transmises à leurs enfants et qui s'étaient conservées chez la plupart presque sans altération, ou du moins sans une altération fort sensible malgré leur distance et leur peu de communication."(p186~187)
(・・・それらの習俗の中には、普遍的なもの、人々の父たちが子どもたちに伝えてきた原初の思考に基づくものがあった。しかも、それらは、(異なる国々や地域の間の)距離や交流の乏しさにもかかわらず、殆ど何らの差異もなく、あるいは少なくとも強く感じられる差異が一つもないのである。)(私訳につき誤訳あるかも)
ラフィトー(1681―1746)は、日本ではあまり知られていないが、アメリカ・インディアン(イロコイ)の神話・習俗と古代ギリシアの文化とを歴史民族学的に比較研究した フランスの民俗学者であり、古代史学と社会人類学とを結び付けた極めて重要な人物である。
上に引用した部分で注目すべきは、ラフィトーの指摘の内容そのものではなく、彼が行なった言葉の使い方である。
具体的には、「習俗」(これはもちろん婚姻ルールを含む)は、「父たち」から「子どもたち」に伝えられるというところである。
私見では、ここでラフィトーは、無意識的にかもしれないが、「習俗」に関する自身の決定的な思考をあらわにしている。
それは、(ちょっと乱暴な要約だが)
「婚姻ルールを含む習俗は、「父」を承継する機能を果たしている」
というものである。
ラフィトーの思考は、
「習俗がそっくりそのまま承継されるためには、承継する主体(「父たち」と「子どもたち」)も「承継」されなければならない」
という前提としているはずだからである。
原初の思考が承継されていくというのに、承継する主体が承継されないというのは背理だからである。
ここで重要なのは、「原初の思考」とは何であるか、「父」とは何であるか、また両者はどんな関係にあるか、という問題である。