若い時に身についた習慣は、年をとってもなかなか離れてくれないものである。
私は、20代の頃金融機関で働いていたのだが、毎朝の日課は、中小企業の決算書をデータに落とし込んで数字を分析すること、つまり財務諸表分析だった。
こんな感じなので、当時の私は、目に入るあらゆる商品やサービスについて、その原価構成や利潤がいくらであるかなどを推測する習慣がついていた。
今でも、無意識のうちに原価計算をする習慣があり、例えば、バレエの公演でも「音楽の値段(=原価+利潤)はいくらぐらいかな?」などと考えながら鑑賞してしまう。
こういう場合に参考となるのが、バレエ音楽に特化したオーケストラ公演における料金設定であり、私が一つの基準としているのは、東京フィルによる「カルメン/白鳥の湖」のS席:10,000円という料金である。
但し、これにはプレトニョフへの報酬や(オーケストラが演奏するため相応の広さのステージを有する)会場の賃料などが反映されているため、その分を割り引いて考えると、バレエ公演用の「音楽の値段」は、「カルメン組曲」(もともとバレエ用に作られている):3,000円程度、「白鳥の湖」(バレエでの演奏時間は「カルメンより組曲」よりかなり長い):5,000円程度と見込まれる(あくまで私の独断による推定)。
このような視点から、最近鑑賞したバレエ公演を分析すると、以下のようになる。
Flowers of the Forest は2018年の「NHK バレエの饗宴」(後半の「スコットランドのバラード 」には何と吉田都さんが登場!)で観て気に入ったのでまた観たいと思っていた演目であり、「雪女」は世界初演ということで楽しみにしていた演目である。
前者は、とりわけ後半のコリオがベンジャミン・ブリテン作曲「スコットランドのバラード 」にマッチしていて、忘れがたい印象を残す。
後者は、ストラヴィンスキーの「妖精の接吻」を使用するという奇抜なアイデアだが、意外にも日本の伝統的な農村風景とマッチしている。
音楽は全て生演奏だが、比較的小規模のオーケストラとピアノ(2人)・トランペット(1人)のソリストで構成されていることを考慮し、「音楽の値段」は2,000円程度であると推定。
② ジゼル(K-BALLET TOKYO)(S席:17,000円)
熊川ディレクターの演出・振付だが、意外にも、奇を衒ったところのないオーソドックスなプロダクション。
ラストで、アルブレヒト(ジュリアン・マッケイ)が花束をポロポロと全部落としてしまい、挙げ句の果てに子どものように泣き崩れる演出はなかなか良い。
音楽は、いつも通りの「シアター オーケストラ トウキョウ」(指揮:井田勝大)による生演奏である。
いわば”座付き”のオーケストラ&指揮者である点を考慮し、「音楽の値段」は3,000円程度(外注の場合は4,000円程度?)であると推定。
③ 上野水香オンステージ2024(S席:13,000円)
「上野水香オンステージ」は昨年も開催され
音楽は、全曲について、生演奏ではなく録音音源が使用されている。
私は、このやり方にはかなり問題があると感じた。
最初の演目「カルメン」は、2021年6月の公演でも同じキャストで演じられたが、その際の音楽は生演奏だった。
その時と今回とを比べると、私には、明らかに今回のパフォーマンスの方が落ちてみえたのである。
やはり、生演奏の音楽の方が、ダンサーのパフォーマンスも上がるはずなのだ。
前述した私の計算だと、「音楽の値段」は、「カルメン組曲」だけでおそらく3,000円程度であり、これに加えて「ドン・キホーテ」と「タイス」を生演奏した場合には、おそらく4,000円程度になるのではないかと思う(ちなみに、「ボレロ」について言うと、生演奏での上演は今まで一度も観たことがない。)。
もしも主催者が、「音楽を生演奏にして、その分をチケット料金に加味すれば、売上げが落ちてしまう」と考え、全て録音音源にしたというのであれば、音楽を軽視する姿勢が現れているという指摘が出て来てもおかしくない。
あくまで私見ではあるが、私は、安易に録音音源に頼る姿勢は、やはり正道ではないと思う。
なので、今月に限れば、スターダンサーズ・バレエ団や K-BALLET TOKYOの方が立派だったという気がする。
「東京・春・音楽祭」の公式プログラムには、海野敏氏による「ボレロ」に関する詳しい解説があるが、こういう状況だと、「何だかなあ・・・」という気分になってしまうのである。
ちなみに、「ボレロ」については、どうしても録音音源を用いる必要があるというのであれば話は別だが、2015年の東急ジルヴェスター・コンサートではシルヴィ・ギエムが生演奏で踊っているので、コリオの権利を有するモーリス・ベジャール財団が、
「生演奏ではなく、この録音音源を使いなさい」
と指定しているなどといった事情もなさそうである。