「物語はフランス革命期のコンピエーニュにおけるカルメル会修道女の処刑を題材とし、ヒロインのブランシュをはじめとするカルメル会修道女たちが革命の波にもまれる苦悩、そしてついには殉教へと向かう修道女たちの祈りが、儚くも美しい音楽によって彩られます。」
キリスト教徒でない日本人が、このオペラのテーマを理解するのはなかなか難しい。
「殉教」の構造を理解する前提が、おそらく欠けているためである。
オペラの前半では、修道院長のクロワシー院長が、その信仰にもかかわらず「死の恐怖」を克服することが出来ず、精神の錯乱と断末魔の叫びのうちに死を遂げる場面が描かれる。
院長は、死の間際、何と、
「神は私たちを見放した!」
と叫ぶ。
これを見た主人公:ブランシュと修道女長:マリーは、
「自分の死ではなく、間違って他人の死を受け取ることもあるのではないかしら?」
と述べて、何とか自分自身を説得しようとする。
院長の死に方は「間違い」だったと思いたいのである。
その後、革命政権の立法議会が全ての宗教施設の閉鎖と売却を命じたのに対し、マリーは「殉教」によって対抗することを提案する。
死の恐怖に怯える修道女たちを、マリーは、
「イエスも、十字架にかけられるまでは死を恐れていたのよ」
と諭すが、死の恐怖に耐えられなかったブランシュは、修道院から逃亡してしまう。
マリーは、修道会の基盤を成す無分節原理(譲渡担保を巡るエトセトラ(6))を「殉教」として把握し、「(無分節的な)集団」によって死の恐怖を克服しようと試みたわけである。
対して、この時点におけるブランシュは、「仲間へたちへの務め」(=殉教)より「神への務め」(=生き延びて抵抗すること)を上位の価値と見なし、修道会を事実上脱会する。
これは、むしろ「あくまで個人として神に対して義務を負う」というピューリタン的な思考(ピューリタニズムと抗命義務)に近いように思える。
ところが、この後ストーリーは急展開する。
革命裁判所が修道女たち全員に死刑を命ずると、ブランシュは考えを改め、カルメル会の修道女たちと再合流する。
そして、ブランシュは自ら断頭台に上り、ほかの修道女達に続いて命を絶つのである。
ここに至ってようやく、「無分節原理による『死の恐怖』の克服」という、この物語の核心的なテーマが明らかとなる。
ところで、「集団による死(殉教)」という点だけ見れば、「四十七士」の「殉死」と共通しているようにも思えるが、両者における「集団」は、全くその構造が異なる。
前述のとおり、カルメル会は典型的な「無分節的な集団」であり、トップも上下関係もない集団の構成員全員が一体となって、信仰のための死(殉死)を遂げる。
ところが、「四十七士」は、「当主」(=浅野内匠頭)を失った、崩壊した「枝分節集団」(イエ)であり、構成員の死は吉良上野介への「復讐」(むき出しのレシプロシテ原理)が帰結するものである。
「四十七士」の「殉死」は、「帰属集団のトップが切腹を余儀なくされたことへの「報復」として、敵のトップの命を奪い、その代償として自らも死ぬ」という図式であり、レシプロシテの連鎖における(変形)ポトラッチなのである。
カルメル会と四十七士の間には、天と地ほどの差があるわけだ。
もっとも、両者とも霊魂の不滅(つまり、死後の世界の存在)を観念しているところは共通している。
この点、江戸時代の武士たちは、私見では、一種の「集合的霊魂不滅説」、すなわち、「殉死」の後も死後の世界で主君に奉仕し、さらには「神」となり、「イエ」において主君と合一化するという思考を有していたと思われる(カイシャ人類学(19))。
これに対し、カルメル会の修道女たちが「殉教」の後にどのような死後の世界を想定していたかは興味深い問題であるが、残念ながら、私はカトリックの思想について殆ど全く知識を持ち合わせていない。
少なくとも、合一化が「イエ」の範囲に限定されるという思考でないことは確かなのだが・・・。