Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

「父」の承継?(2)

2024年03月17日 06時30分00秒 | Weblog
 判決は、憲法24条1項が定める婚姻を「人と人との自由な結びつき」(を含む)と定義した上で、「性的指向及び同性間の婚姻の「自由」」を、権利性までは認められないものの「重要な法的利益」であると捉えている(p2の26行目~p3の4行目)。
 これに対し、「性的指向及び同性間の婚姻の「自由」」を正面から権利として構成する方法もあるが、判決は、「憲法 24条は文言上異性間の婚姻を定め、これに基づいて制定された各種の法令、社会の状況等」(p2の11~12行目)を踏まえると、憲法13条が保障する人格権には含まれないと判断した。
 この判示部分に対しては、おそらく憲法学者などから批判が出るだろう。
 他方、夫婦が一応「団体」であること、また、婚姻関係の成立によって権利だけでなく義務(民法752条の同居・協力・扶助義務)も発生することに着目すれば、団体法の分野における議論が参考になるかもしれない。
 それは、「権利能力なき社団」に関する議論である。
 つまり、当該個人ではなく、当該カップルについて、ある種の(疑似)法主体性を認めるかどうかという問題として捉えることも出来そうなのである。
 もっとも、このアプローチは、個人を超える(疑似)法主体を観念する点でもともと筋が悪い上に、テキストとしての憲法条文から、夫婦を「団体」の一種とみてその(疑似)法主体性を導き出すのは無理だろう。
 結局のところ、出発点に戻ってみると、原告らが求めているのは、自身らが「法律婚の夫婦と同等の扱いを受けること」だろう。
 そうすると、憲法14条の平等原則違反で行くのが自然であり、それで十分だったのかもしれない(もちろん、憲法13条に基づく権利として正面から認める道もあったことは前述のとおり)。
 ところで、札幌高裁は、憲法24条1項が定める婚姻を「人と人との自由な結びつき」(を含む)と解釈することによって、結論を導き出したわけだが、こうした”拡張解釈”は、社会人類学者の目には相当奇異なものと映るはずである。
 社会人類学的な意味の「婚姻」は、決して「人と人との自由な結びつき」などではないからである。
  
コメント
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