「近松門左衛門=原作 文楽 曾根崎心中(そねざきしんじゅう)天神森の段」
外国人を含む文楽初心者向けに「曾根崎心中」の最後の段を上演するものだが、大道具などの代わりにアニメーションを用いているのが新鮮である。
ストーリーはシンプルで、極限まで切り詰めた要約は以下のとおり。
「『曾根崎心中』は、いったい筋が単純すぎる。二流の女郎に惚れている醤油屋の手代が、うかつにも友達に大事な金を融通してしまったためにせっぱ詰まり、にっちもさっちもいかなくなって女郎と心中するーーそれだけの話である。」(p171)
だが、私は、これはキーンさんらしくない、最初の「観音廻りの場」を精読していないために起きた”浅読み”と見る。
まず、徳兵衛とお初がいずれも「イエ」から切り離された天涯孤独の身である点が重要である。
この点、お初について、両親が健在であること以上に詳しい身の上話は出て来ないが、遊女であることから、彼女がイエ秩序をはみ出した女性であることは明らかである。
これに対し、徳兵衛の状況はもっと気の毒である。
彼は幼少時に両親を亡くし、継母に育てられた後、醤油屋を営む叔父のもとで手代として働いている。
叔父は、自分の娘(徳兵衛にとってはいとこ)を徳兵衛にめあわせ、「イエ」(=商売)を継がせようとして、徳兵衛の継母と話をつけ、彼女に結納金を渡した(「内儀の姪に二貫目付けて女夫にし。商ひさせふといふ談合・・・在所の母は継母なるが。われに隠して親方と 談合極め 二貫目の。銀を握つて帰られしを 此のうつそりが 夢にも知らず。」以下原文は「曾根崎心中・冥途の飛脚 他五篇」(岩波文庫)より引用)。
ここで、「イエ」存続のための露骨な échange が行なわれている点を見逃してはならない。
ところが、徳兵衛にはお初という恋人がいるため、この縁談を断る。
「銀を付けて申受け 一生女房の機嫌取り 此の徳兵衛が立つものか。いやと言ふからは 死んだ親父が生き返り申すとあっても。いやでござる・・・」という、実にすがすがしい「échange の拒絶」である。
だが、これに激高した叔父は、4月7日までに結納金の返済及び所払いを申し付け、これを受けた徳兵衛は金策に走るが奏功せず、やっとのことで継母から金を受け取る。
これで金の問題は無事解決と思いきや、一波乱が起こる。
徳兵衛の「兄弟同事」(兄弟同然)の親友である油屋の九平次が、「(4月)三日の朝は返さふと 一命賭けて」金の融通を頼むので、徳兵衛は借用書がわりの手形に押印させた上で、「あいつも男磨くやつ。をれが難儀も知ってゐる」と信用して手元の資金を貸す。
3日を過ぎても九平次が返済しないので、徳兵衛が3月28日付けの手形を示して督促すると、九平次は、何とこう述べる。
「此の九平次は 跡の月の廿五日。鼻紙袋を落として 印判共に失ふた。方〲に紙して尋ぬれ共 知れぬゆへ。此の月からコレ。此の町衆へも断り 印判を変へたやい・・・扨はそちが拾ふて 手形を書いて判を据へ。をれをねだつて銀取らふとは謀判より大罪人」
九平次は、金を借りた事実を否認したばかりか、「徳兵衛は自分が落とした印鑑を冒用して手形を偽造したのだ」と濡れ衣を着せにかかる。
この辺りは、長年わが国で続いてきた「ハンコの悲劇」の変形ヴァージョンと言ってよい。
徳兵衛は九平次の騙りに遭って窮地に陥ったように見えるが、冷静に考えれば、九平次の主張は極めて不自然で、追及すればいかにもボロが出そうである。
ところが、この状況を受けた徳兵衛の発言は、現代の法曹からすれば到底信じられないものである。
「扨巧んだり〱。一杯食ふたか 無念やな。ハテなんとせふ此の銀をのめ〱と 唯をのれに取られふか。かう巧んだことなれば 出所へ出てもをれが負け。腕先で取つてみせふコレヤ」
徳兵衛は、裁判をしても「負け」は必至だという(これは現代の法曹には信じがたいことである。)。
徳兵衛にとって、この時点で既に九平次の虚偽を暴いて金を取り戻す選択肢はなくなり、実力行使に打って出るのである。
私は、この徳兵衛の発言に、当時における司法制度の機能不全という問題だけでなく、より根本的な問題として「論拠の論拠を問う」という思考の欠如を見る。
徳兵衛は五人がかりの九平次らに組み伏せられ、踏み叩かれる。
歌舞伎でもよく出てくるが、「万座で恥をかかされる」男が何をするかと言えば、それは殺人か自殺しかない。
「明くる七日此の銀がなければ われらも死なねばならぬ。・・・手形をわれらが手で書かせ。印判据へてその判を 前方に落せしと。町内へ披露して かへつて今の逆ねだれ。口惜しや 無念やな。此のごとく 踏みたゝかれ 男も立たず 身も立たず。最前につかみ付き。食付いてなりとも 死なんものを」