Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

日常の真皮をむきだしにする

2024年03月01日 06時30分00秒 | Weblog
 「穏やかな語り口の,深い愛情に満ちた,鮮やかな抒情の音をひびかせる,吉野弘のエッセンス.

 私見では、このキャッチ・コピーを鵜呑みにするのは危険である。
 むしろ、編者(小池昌代氏)による解説:
 「言葉がからっぽになる瞬間に、こうしてわたしたちは詩のなかで立ち会うことになる。・・・しかし選んだ言葉が、はからずも日常の真皮をむきだしにした。吉野弘は、そのような力を持つ言葉に、即座に感応する受信機だ。」(p326)
の方が的確である。
 3つだけ例を挙げてみる。
① 「実業」(p96)
 詩人は、「実業紀原始人」という言葉で、「首を賭けたいと言った紅顔の営業マン」や「敵を倒そうとしていた若社長」の内面に潜む動物的な攻撃衝動(端的に言えば殺人衝動)を抉り出す。
② 「奈々子に」(p29)
 詩人は、我が子に対し、「ひとが ひとでなくなるのは、自分を愛することをやめるときだ。 」などと、「かちとるにむづかしく はぐくむにむづかしい 自分を愛する心」を失わないよう語りかける(就活うつを吹き飛ばす(3))。
 裏返すと、詩人は、この世界では、「自分を愛する心」を失わせるような出来事が次々と起こり、中には「自分を愛する心」を破壊しようとする人々すら存在すること、そして、このために「ひとでなくなる」=「生けるしかばね」のようになってしまう人が余りにも多いことを、我が子に教えているのである。
③ 人間の言葉を借りて(p258)
 実は、詩人自身も、「生けるしかばね」のような人生を送って来たことが、この詩によって明かされる。
或る日
 三歳になる兄が
 眠っているわたしの顔に
 小さな透明なビニールの袋をかぶせた
 袋は頭をピッタリ包み
 わたしは息が出来なくなった
 チャンス到来
 忽ち気が遠くなり
 わたしは人間でなくなった
 (中略)
 わたしの望みが叶えられ、人間でなくなった日
 わたしは思い出していた
 以前、人間だったことを
 再度の人間稼業はごめんだと心底思っていたことを
 わたしの望みが何処かの神のお耳に入ればいいと
 思っていたことを

 こうした言葉に出くわすたびに、私は「日常の真皮」を垣間見たように感じ、多大なショックを受ける。
 私に限らず、こういう経験をする人は多いだろう。
 どなたか、こうした類の詩を除外し、安全な・心の休まるような詩だけをピックアップして、「吉野弘・安全詩集」のようなアンソロジーをつくってくれないものだろうか?
 
コメント
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