(引き続きネタバレご注意!)
もともと一人芝居用に作られたこの戯曲を、演出家の桐山知也氏は、4人の俳優で演じ分けるスタイルに変えた。
うち3人(既に挙げた2人と大石継太さん)は主人公役で、残る1人(溝口琢矢さん)はパウリの役である。
この趣向について、桐山氏はこう語る。
「この戯曲は、亡くなった弟のパウリに向けてウィレムが綴った数々の手紙によって構成されていますが、最後の一節を読んだ時に、彼は自分が書いた手紙を結局どうしたのだろう、と思ったんです。もしかしたら、ウィレムが10年20年と年を重ねてもずっと持ち続けている可能性があるんじゃないか、今もまだウィレムの手元にあるんじゃないか、と考えた。それが、俳優4人で上演したいと考え始めたきっかけです。」(公演パンフレットより)
そういうわけで、主人公は、33歳、49歳及び63歳の俳優によって演じられる。
ストーリーに話を戻すと、主人公役の2人目:伊達暁さんのお芝居は、パウリへの手紙を読むところから始まる。
パウリの死を受け入れられない父は、かつてないほどに動揺し、泣きじゃくっているらしい。
だが、パウリの死因が「遺伝性の心疾患」であったことが判明したことで、父は自身の疾患に気づき、検査を受ける動機付けを得た。
「お前が死んだことによって、お父さんは自分は死ななくて済んだんだ」
と主人公はパウリへの手紙に綴る。
だが、冷静に考えると、死の危険を抱えているという点は、主人公自身にも当てはまるはずである。
おそらく、この時点では、まだ主人公はパウリの死を自分とは無関係の問題としてしか把握出来ていないようである。
ふと主人公は、ギターを弾きながら歌をうたうパウリとの関係がどうもうまく行かず、(記憶がやや曖昧なので不正確かもしれないが)
「狩猟民族は、言葉を使い始める前に、まず歌をうたったと言われているんだ」
と言うパウリを理解出来ないまま、大した理由もなく仲たがいしたことを思い出した。
そこへアイザックから主人公に連絡が入り、14年ぶりにアイザックと再会する。
アイザックは主人公の恋人だったが、「うまく行かないだろう」と思って主人公は関係を断ち、アメリカに渡ったらしい。
アイザックを前にして、主人公はこう述べる。
「この14年間、ずっと話がしたかった。」
「俺の世界はすごく合理的なんだけど、君はそれを魔法みたいに不思議で美しい詩に変えてしまうー」
このあたりで、ようやく主人公は正常なルートに復帰し始めたように見える。
すると、主人公は、パウリに手紙を書いている理由は、
「俺が(お前と)話がしたいと思ったから」
であることに気づく。
実は、二人の仲たがいは、「話をしたい」という主人公に対し、パウリが「歌をうたう」だけだったことに発していたのかもしれない。
この時点では、まだ主人公は、「歌をうたう」ことの意味を理解していないようである。