「英イングランド北西部サウスポートで29日にダンス教室のイベントに参加していた子どもが刃物で襲撃され、女児3人が死亡した事件を受け、現地で30日に反イスラムの大規模なデモが実施され、暴徒化した参加者が警察と衝突した。
警察はこの襲撃事件についてテロとの関連はなく、殺人などの疑いで逮捕された17歳の少年は英国生まれだと指摘。それでもなお、極右団体が少年とイスラム教を関連付けた臆測をかき立てた。
警察によると、デモに参加した数百人がモスク(イスラム教礼拝所)に物を投げ始めて暴徒化。警察は参加者が反イスラムの暴力的なデモを実施してきた「イングランド防衛同盟」という団体と関連があるとみている。」
日本では余り大きく取り上げられないが、イギリス社会はこの事件で大きく動揺している。
劇作家のサイモン・スティーブンスによれば、この状況は「1930年代のドイツ」と似ているという。
そうした中で、襲撃を受けた(無辜の)モスクの関係者は、集まった人々に食事を振る舞い、
「どうしてあなたたちはそのように怒っているのか、教えて欲しい」
と対話を求めたらしい。
この話を聞いて、スティーブンス氏は、涙を流して感動したという。
このことから察知されるとおり、彼は、「対話」に第一義的な意義を見出しているのだが、このことは、彼の作品にもあらわれている。
「空気がぴんと張り詰めたように澄みきった冬のニューヨーク。
34歳のビジネスマン、ウィレムの携帯電話が鳴る。遠く離れて暮らす母親からの電話。
弟のパウリが死んだ。アムステルダムに帰ってくるように、と。
突然にこの世界から消えてしまった弟へ綴る手紙。疎遠になっていた家族、見失った愛、向き合いきれずにいる人生を巡る、決して忘れることのできない帰郷の旅が始まる––––––。」
これだけでは、この芝居のテーマは分からないと思うので、作者のコメントを引用してみる。
「私たちは、自分の故郷であらゆるロマンスや感傷的なことを否定する男の物語を語ってみようと思った。金を稼ぐことを軸に自分というものを構築した男の物語が書けるかどうか。信じることができなくなってしまった故郷を逃れるために海を渡った男。都市や国を売り買いし、愛や死や誕生や希望といっった感傷的な考えを軽蔑していた男の物語を描きたかった。それからその男を、愛することができる、そしていちばん大事なこと、うたを歌うことができる男に変える。」(公演パンフレットより)
要するに、「愛」と「うた」がこの芝居のテーマなのである。
「うた」はひとまず措くとして、ここでいう「愛」は、西欧の伝統的な定義に従ったものと解釈してよいと思う。
つまり、「愛」=「自我の相互拡張」であり、インタラクティヴであることが要となっている(「父」の承継?(9))。
但し、この芝居における「愛」の概念は、通常私たちが考える「愛」と比べて非常に拡張されたものであり、いわばハードルは極めて低く設定されている点に注意が必要だろう。