合格者の顔ぶれを見て、大学院の指導方針で間違っていたと思われるものがある。それは、「文章力至上主義」である。バーディーが合格者発表で意外に思ったのは、ロースクールの課題レポートで良い文章を書いていた面々がほぼ落ちていたという事実である。
確かに、分かり易い文章を書く能力は、法律家として最低限必要なことである。しかしながら、現在、少なからぬロースクールで指導されているのは、「時間をかけて文献を調べ上げ、短くひきしまった文章で表現する」テクニックであるように思われる。ところが、このテクニックは、試験で必要なテクニックとは似て非なるものだと思うのである。
実際、A41枚のレポートを書くのに、6時間位リサーチをする人もいて、こういう人はローの成績も良い。だが、いわば極限状態の中で文章を書かねば成らない試験というものは、考えすぎていてはおしまいであるし、文章に懲りすぎてもアウト(時間切れ)となる。
確かに、分かり易い文章を書く能力は、法律家として最低限必要なことである。しかしながら、現在、少なからぬロースクールで指導されているのは、「時間をかけて文献を調べ上げ、短くひきしまった文章で表現する」テクニックであるように思われる。ところが、このテクニックは、試験で必要なテクニックとは似て非なるものだと思うのである。
実際、A41枚のレポートを書くのに、6時間位リサーチをする人もいて、こういう人はローの成績も良い。だが、いわば極限状態の中で文章を書かねば成らない試験というものは、考えすぎていてはおしまいであるし、文章に懲りすぎてもアウト(時間切れ)となる。