「・・・初を中心に西南方村の連中が訳の分らぬ鹿児島弁でぺちゃくちゃやっていますところは、とんと枕崎の魚市場へでも行ったような賑かさです。磊吉はこの、女中部屋に於ける娘さんたちの会合を「鹿児島県人会」と称しておりましたが・・・」(p21)
磊吉の家には、江戸時代最大の「イエ」であった「藩」=この小説の場合は「薩摩藩」のミニチュア版が出現した。
但し、既に指摘したとおり、女中たちはここでは「イエ」の正式なメンバーではない。
それどころか、彼女らの故郷の「イエ」の状況も悲惨を極めており、「イエ」はほぼ崩壊していた。
例えば、初に父はおらず、姉は貧困のため和歌山へ売られて行き、今でも実家のため借金を返済しているらしい(p31)。
また、「梅」という女中の父母は幼いころに亡くなり、彼女は祖父の姉のもとで養育されたという(p53~54)。
さらに言えば、彼女らは、少し前の時代であれば、「間引き」されたり、「捨て子」として、「イエ」制度の犠牲者になったかもしれない存在なのである。
それが何とか世に出て生きていられるのは、もちろん、「間引き」や「捨て子」に対する禁圧・倫理観の変化や交通機関の発達(枕崎から神戸、京都、熱海へ)などもあるが、女中を何人も雇うだけの経済力のある、磊吉夫婦のような都市富裕層が成立したからであった。
ちなみに、この家では、女中は磊吉のために原稿の清書なども行うのである。
磊吉の家には、江戸時代最大の「イエ」であった「藩」=この小説の場合は「薩摩藩」のミニチュア版が出現した。
但し、既に指摘したとおり、女中たちはここでは「イエ」の正式なメンバーではない。
それどころか、彼女らの故郷の「イエ」の状況も悲惨を極めており、「イエ」はほぼ崩壊していた。
例えば、初に父はおらず、姉は貧困のため和歌山へ売られて行き、今でも実家のため借金を返済しているらしい(p31)。
また、「梅」という女中の父母は幼いころに亡くなり、彼女は祖父の姉のもとで養育されたという(p53~54)。
さらに言えば、彼女らは、少し前の時代であれば、「間引き」されたり、「捨て子」として、「イエ」制度の犠牲者になったかもしれない存在なのである。
それが何とか世に出て生きていられるのは、もちろん、「間引き」や「捨て子」に対する禁圧・倫理観の変化や交通機関の発達(枕崎から神戸、京都、熱海へ)などもあるが、女中を何人も雇うだけの経済力のある、磊吉夫婦のような都市富裕層が成立したからであった。
ちなみに、この家では、女中は磊吉のために原稿の清書なども行うのである。