こんな記事を読みました。
それは日本でも近年そう言う方向にもって行く傾向にあります。
治療とか癒しとか回復って、悪いところを治すんだと思い込んでた。
本当にそんなんで良くなるの?って疑心暗鬼になっても仕方ない。
でも実際にクリニックで患者さんたちを観ていたらわかる。そうだと思う。
もちろんその前にはその人が今、安全で安心なところに居ると言うこと。
体や心に対する見立てとケアが実際に行われている事が前提です。
だから悪いところを治すことは除外しているのではないです。
その上で。
体も心も本当にひどい状態から、暮らしと体調が整って来た時に
私のところに来て、出来ることはそう言うこと。
その人の持っている輝くところに注目して、そこを大切に育てる事。
それまでの不良な暮らしで隠されていた、その人の良いところがひょいと顔を出す瞬間がある。
それを表現するのに私は手を貸します。
その人の良いところだから好きなものだから、したいことだから
その人はそれをじっくりと辛抱強く、長い間かかっても取り掛かって進めてやり遂げます。
作っている最中も、出来上がった時も、周りのみんながそれを観ていて心を動かされずにはいられないような作品が出来上がります。その目に見える形で自分の良い所が現れることでその人は自分が思っていたより自分って良いなあと思えてくる。
頑張れるんだな。誰がみてもそうなんだなって。
それはその人にとって生まれて初めての経験かもしれない。
ずっと忘れていた昔の宝物かもしれない。
でもそれを持つ事で、その人の1日1日は断然輝きを増す、生きているその1日が昔の自分から見たら奇跡の1日になる。
それを礎にその人はその他の面でも新しい温かい明るい方向を向けるようになります。
そんな様子を観ていると、つくづく回復って自分に足りない全く知らない何かを身につける事じゃなくて、
元々備わっていた持っていた隠れていた埋もれていた生まれ持った自分自身を掘り起こす作業なんだなと思える。
生まれてから生きてきた中で、親や環境からいろんな荷物を背負わされて、それで不自由になってることにも気づかないで
不器用でも一生懸命に生きてきた生き残ってきた人たちが、その重荷を少しずつ降ろして身軽になっていくのを観るのは胸のすく想い。
もちろんそれは簡単な事ではなくて、結構な年月がかかるし、側で見ていると本当に難しそう。
手放せない重荷と一緒に生きていくのも大切だと思います。
どんな自分でも、そのままで今日一日生きている事そのものが尊い。
良く生きる為には何かが足りないんじゃないと
何かを手放すことも大切だと
私に見せてくれた、教えてくれたのは患者さん達です。
いつもありがとう。