明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



土曜日にカラオケに行ったのを最後にKさんと4日間連絡が取れない。お母さんの写真の修復は終っているので早く見せたいのに。寝ているところをおこされるのを嫌い、携帯の電源を切ってしまうのである。おかげで親類が亡くなったのを、葬儀が終った後に知った有様なので、留守電にしておけば、といってもやり方が判らないの一点張りで相変わらずである。 飲みすぎで数日寝込むことはあったが、これほど連絡が取れないのは始めてである。かといってアパートを教えないので訪ねてもいけない。そこでかつての同僚で、現在個人タクシーのMさんに連絡してみた。Kさんは定年後にアパートを探したら、偶然三十年近く前に住んだ、同じアパートの同じ部屋だった。記憶を頼りに探してみるという。「部屋へ行ったら小さなカワウソが干からびてたなんていわないでよ」。と冗談をいってはみたものの、Mさんが目星を付けた部屋にはKさんの物らしい自転車、しかし反応がない。不動産屋に行ってみるという。電話から伝わるMさんの口調が、事件現場を伝えるリポーター調に聞こえる。 幼い頃、TVでアメリカの戦争ドラマを観た。仕立て屋だったひょうきんな兵隊が、商売道具のミシンをもったまま戦場を逃げ惑う。結局死んでしまうのだが、こういう人物が死ぬから余計に哀しいのだ、と解説の淀川長治はいう。そういうものか、と子供心に思った。 もう仕事にならない。とりあえず向おう、と外に出たとたんKさんより電話。今帰ってきたという。不動産屋から保証人のMさんの所まで連絡が行ったらしい。奥多摩には行ったが、家にはいたという。寂しさが高じて少々落ち込んでいたらしい。以前見たTV番組で鬱病をやっていて、ほとんど当てはまっていた、ともいう。表情を見ると笑わそうとしてるわけでもなさそうである。TVの健康番組も良し悪しである。 それでも12時を過ぎた頃には元気になっていた。震災番組で、幼い少女が親をなくして笑顔で耐えているのを見て、60過ぎてこれではいけないと思ったそうである。心配した兄弟が一度顔を見せに来いという連絡もあった。修正の終ったお母さんの写真をもっていって、驚かせてあげてよ、といっておいた。

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