明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



そろそろ昼食にしようかというところで、泥酔状態のKさんから電話がきた。これから蕎麦屋に行くから来てくれという。昨晩私が送ったお母さんの写真を見て、ハシゴをしないで帰ったというから、さぞかし嬉しかったろう。作った私としてみれば、どれだけ喜んでくれたか知りたいのは人情というものである。 行ってみると大変御機嫌。突然幼いときに亡くした母親の、始めてみる20代の写真が送られてきて、滂沱の涙だったという。そういいながら携帯を見つめては「有難う」と、大粒の涙を流すものだから、昼の蕎麦屋で私もつられてしまう。それを何度くりかえしたであろうか。これだけ喜んでもらえれば作った私も本望というものである。 Kさんはともかく、お母さんと写っている唯一の写真を、Kさんに内緒に独り占めされている兄弟に、完成したら、必ず送ってくれるよう念をおしたのであった。
という訳だが、このままだと、ただ良い話になってしまい、私としては大変不本意である。実際会うと、そんな良いものではないと強調しておきたい。 昨晩送った写真が逆効果だったか、実は帰ります、といいながら次の店へ行ってしまい、大変なことがおきたという。 そこにいたのはKさんと同年輩、60過ぎの着物美人。一緒にこちらで飲みましょう、とテーブルに招くその女性は、以前クラブだかを経営し、子供はいるが、現在豊洲の高層億ションに住んでいるという。そして次の寿司屋で、その初対面の女性にKさん求婚されたというのである。つまり本日蕎麦屋に呼び出された本題は、実はこの件だったのである。ようするに前半は、この話の合間の話を、マグロの中落ちをスプーンでかき集めるようにした話なのである。 今晩も女性に会うことになっているというKさんに、蕎麦屋のオバサン思わず「Kさん、ムジナって知ってるか?」。 まあこのオジサン。練炭にさえ気をつけてくれれば、どうなろうと私の知ったことではないのである。

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