先日、これもまた富岡八幡の骨董市で入手し、何年も行方不明であった川端康成のプリントが出てきた。毎日新聞出版写真部の封筒に入っており、凡そ30枚。大体が8×10インチほどである。内容は昭和43年のノーベル賞受賞時のもので、大勢の報道陣がカメラやマイクを向けていたり、誰かが何かを読み上げていたり、通知を渡す役目のスウェーデン大使や、何人か作家の顔もあり熱気が伝わってくる。招かれた、ストックホルムのセントルチア祭のカットもあった。私は当然、川端邸にかけつけた三島由紀夫を探したはずだが、残念ながら入っていない。 写真資料も見つかり一日図書館で川端関連と、鏡花を一遍読む。鏡花は久しぶりに読む作品であったが、前回、場面を読み違えていたらしく、頭に浮かぶ風景がまるで別作品。自分で呆れた。そうこうして大分ヒートアップしてきた。内田百間と川端の頭部を明日から制作することにする。もしかしたらすでに開始、と書いていたかもしれないが、頼むから作らせてくれ、という空腹状態で始めるべきである。 帰りにT千穂に寄ると、具合が悪いから今日は行かない、といっていたKさん。まあいつものこと。どうせその通りにならないんだから今日は一杯で帰る、とか一々いわないでいいよ。先に帰り、ひきつづき鏡花を読む。鏡花も幼くして母を亡くし、母恋しさの影響が表れた作品も多い。人により色々である。そろそろ大分酒が回った頃であろう。Kさんに向け陰陽師の如くに式紙を飛ばす。 ビリビリのお母さんの写真から、ようやく顔の部分だけ復元させた。欠けてしまった右の頬から額にかけて、時代も角度も違うカットで修復。修復というより創作である。携帯で送り待つこと数分。 「帰って寝ます」。「ありがとう」。効可覿面であった。
過去の雑記
HOME