明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



先日美人刺青師から名刺をもらったと書いた。私は単に自分に墨を入れている、刺青好きの女性だと思っていたら、プロの刺青師であり、HPを見たら西洋的なタトゥーも手掛けるが、浮世絵由来の古典派であることを知り驚いた。 三島由紀夫は自決直前、市ヶ谷に向うコロナ車中で4人の会員とともに、『唐獅子牡丹』を歌ったというエピソードから、『昭和残侠伝』に見立て、三島の背中に唐獅子牡丹を描いて、と考えたが、昨年の『三島由紀夫オマージュ展』には時間的なこと、刺青の質感の表現の問題をクリアーすることができず断念した。 刺青といえば、何度か書いたことがあるが、東京大学の標本室に見学にいったことがある。私の目的はかつての巨人力士『出羽ヶ嶽文治郎』の骨格標本にあった。青山脳病院の斉藤紀一が日本一頭の良い男と日本一強い男を養子にしようと考え、良い方は斉藤茂吉、強い方が文治郎というわけで、北杜夫の『楡家の人々』のモデルである。 標本室に入ってみると、人間から生えた角だとか、一つ目の胎児その他、故マイケル・ジャクソンが狂喜しそうなコレクションに溢れていた。浅沼稲次郎、夏目漱石、何人かの首相の脳も標本瓶に浮かんでいる。出羽ヶ嶽の骨は未整理のまま、段ボール箱に放り込んであったのが出てきたということであったが、結局見られず、かわりにぶら下がっていたのは、夢野久作の父、杉山茂丸の骨であった。  そういえば刺青の話であった。刺青はなんという人物だったか、ある教授が集めたというコレクションで、キャンバスが生きているうちから、何かと面倒をみて約束を取り付け、亡くなったとたん、ペロリと剥がしてきた物だという。綺麗になめされ、あるものは額装され、あるものはトルソに縫い付けられ、なんとも奇妙なもので、中にはサイコロ模様など、生前の職業がしのばれる物もあった。教授の遺族と大学側が所有権について争っていると訊いたが、大学が返すとは思えない。 現在見学は困難なようだが、どういう目的で集められたのか良く判らない。漱石の脳は重くて有名だが、重さを測ってあとはどうした、という感じでもない。中には関東軍のいかれポンチが、「先生いい満州土産を持って帰りました。これを肴に今晩一杯やりましょう」。なんて物が、一つや二つ、五つや六つ混ざっていそうな感じなのであった。

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一日  


川端康成制作、以前好調である。やはり資料にしている毎日新聞流出のモノクロプリントが大きい。印刷とは当然風合いが違うし、正面はもとより、左右の横顔、ちょっとした後ろ姿まである。後ろ姿なのは座敷の黒猫にピントを合わせているからで、ノーベル賞の知らせを持ってきたスゥエーデン大使も脇役に回っていて、当然没原稿であろう。今回まったく必用ない、少年のような笑顔まであるが、やはり川端康成といえば“鷹が豆鉄砲”食らったような表情である。この顔で眠る少女を見つめ、女から預かった片腕をコートの下に隠し持つから効可がある。 制作中の頭部が川端にしか見えなくなってきた頃、再び百鬼園に戻り、しばらくして再び川端へ。こうすることによって目が慣れるのを防ぐ。繰り返すうちに完成ということになる。 腕と来れば谷崎の足がある。谷崎の一体目は、女性崇拝的なイメージを出そうとしていたのであろう。女体の周りに配することしか考えておらず、小さめである。後にアダージョで谷崎を特集したときに新たに作った。初代では小さすぎて、人と並べられるほどのディテールがなかった。谷崎のこだわりは足首から下の、まさに足である。撮影には実際の女性を使うつもりだが、手ならともかく、どうやって探そうか。
ところでKさんは、少々調子に乗りすぎたようで、某店を完全に出入り禁止となった。この人が可愛らしく見えるのもせいぜい午前一時までである。狭い縄張りの中の電柱一本一本に、オシッコを引っ掛けて回るような飲み方をするKさんは、電柱一本の損失が痛手である。馴染みの店すべてアウトになったら東京にいる意味はなくなってしまうだろう。私と行けばドサクサにまぎれて、スルリと入店できると考えているようであるが、私は靴ベラではない。お断りである。Kさんのためにも、寂しかろうが、あまり浮かれないよう気を付けてもらうことにする。

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