昨日ロレツがまわらないKさんと、もっとも古くからKさんを知っており、アパートの保証人でもあるMさんと、洲崎の旧パラダイス内の定食屋へ。Mさんに意外な話を聞く。Kさんは昔からこうではなく、昔は物凄く真面目で、それが遊びを覚えて次第にこうなってしまったのだ、という。最後の方は危なかったが、ちゃんと勤め上げ、今は遊んで暮らせる状態である。確かに初めからこれだったら、こうはいかなかったであろう。若い頃、日本橋浜町の寮から、同僚と裸足のまま銀座を抜けて、日比谷公園まで覗きに行った話を聞いていたから、最初からこうだ、と思い込んでいたのだが。足音が心配で裸足なら、靴は現場で脱げばよい話である。つまり、そこまで真面目だった、ということであろうか?真面目な人のすることは、時に不可解である。 アパートの近くまで来たのだから、この際アパートを教えてもらう。これで万が一のことがあっても、干からびる前に発見できるというわけである。この部屋が転んでオデコをコタツの角にぶつけて、23針の現場か、と部屋を見上げる。畳の血の跡は未だ取れないらしい。 その日の遅く、携帯の電源が切れた、と私に伝言を残し、街に消えていった。つまり呼び出されることもなく、何があっても私は知らない。
というわけでKさん不在の本日、T千穂へK本の常連と流れる。 以前同じマンションのフリーの映画プロデューサーのYさんが久々に合流。旧メンバーが揃う。近々このメンバーで花見を兼ねたカラオケ大会の予定である。私は以前はカラオケとなると途中離脱していたのだが、Kさんのおかげですっかり慣れてしまい、現在ではエレキ歌謡炸裂だぜ、という有様だが、この話をしたら母も参加したいなどといい、皆さんも是非、といってくれるのだが、幼い時、ハーモニカで『お馬の親子』という宿題が出て、吹けない私は、泣きながら母に特訓させられた記憶があまりに鮮明で、母の前で楽しく歌える気がしないのである。
過去の雑記
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