明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



6日から始まる展示は出版のために制作した旧作品だが、その出版社はすでにない。そこで2Lサイズのプリントを用意しようとチェックしているが、古いパソコンの中にそのまま残されていた。まるで夜逃げでもしたかのようにやりっ放しである。目的さえ完遂すれば、後はどうでも良いという性格そのままである。(念の為にいっておくが、これは作品制作においての話である。) 切断された手足もとっ散らかったまま。 私は作者の乱歩本人を作中に登場させるため、実は常識人で、残酷なシーンを書いておきながら後で悔やんだりする人柄を考慮し、バラバラの死体が浴槽に浸かっていても、その切断面はリアルにせず、ソーセージを切ったかのように綺麗にやっている。もっとも乱歩のいうことを真に受けていいものかどうか。嫌々書いていたとは思えず、世間には常識人だと思われたい、ということであろう。その気持ちは良く判る。私にしても、浅草寺の上空を風船にぶら下げられた切断された脚を飛ばしても、乱歩先生がそう書いているのだから仕方がない、という顔をしたいし、実際するのである。 今ほどではないが、友人知人に協力してもらいおかげで『人間『椅子』も完成した。女流作家に義太夫三味線の鶴沢寛也さん。当然椅子の中には私が入るつもりであったが、自分で撮れそうにないので、友人の中央線が誇るブルースベーシスト谷口“タニヤン”英視さんに譲った。くやしいので谷口さんには『目羅博士』で首を吊ってもらった。 他に『パノラマ島綺譚』『陰獣』『青銅の魔人』なども迷った末に時間が足りず断念していた。この頃は合成が下手糞であったが、作り物めいたわざとらしさを出したかったので、かえってそれでよかった。乱歩にはこの調味料が効くのである。そして本人の乱歩は無表情で終始“私には一切責任はない”という顔をしている。 この頃は人間との共演も稚拙であったが、今回の『貝の穴に河童の居る事』で人間を演出し撮影することにすっかり味をしめてしまった。今後これにより自由度は拡がるであろう。私はだいたいこうやって枝葉を伸ばすように変化してきた。乱歩を制作していた頃にはもう戻れない。

去の雑記
HOM



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