明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



国立というと地元からはいささか遠いので、近所の方には展示を知らせていなかった。昨日の東京新聞。多摩版だから、と思っていたら、印刷しているのが近所で、そこで働くT千穂の常連Fさんが午前中もって来てくれたそうである。悪いことなどできるものではない。 毎日のようにお会いする常連が、それを見て私が思ったより年を食っていたといっていたそうである。 フィリピンパブのフィリピーナにカタコトで“苦労ガ足リナインジャナイ?”といわれた私だが、若く見えるといってお会いするたび不思議なのは、昨日来ていただいた、翻訳家の金原瑞人さんである。どうみても私より年上には見えず、ビートバンドでリッケンバッカーあたりを抱えている青年のようである。  あのフィリピーナに今度会うことがあったら、日本で長生きしたかったら、ああいう場合せめて“苦労が顔に出ないタイプね”というべきだとアドバイスしよう。
私が子供の頃からエレキギターを分解しては壊してきたのは、電気回路を理解していないのに、余計なことをするからだが、65年製の玩具みたいな国産ギターが、スタジオで大きな音を出したら、意外なくらい良い音で、相棒が持ってきた100万のギターと、少々ジャンルが違えど、充分対抗できるな音であった。もちろん見た目は育ちの違いが一目瞭然であったが。そこで、いつか2800円で落札した音も出ないジャンクギターを、ネックの反りから直し、色々していたら音がでてきた。弾きにくさは当然で酷いものではあるが、それを越えて愛着が涌いてきた。よくアフリカのミュージシャンが、当時の安い日本製ギターを弾いているのを見かけるが、あの味わいである。この感じは十年以上前に、中古カメラ店にいっては、真鍮鏡胴の妙なレンズを集めていた頃を想い出す。あの頃は東京のカメラ店でも二束三文でゴロゴロしていたが、今は海外のオークションが盛況のようである。
ビブリオには土、日は顔を出す予定である。掘りごたつもある。ノートパソコンを持ち込んでフンドシ姿の漁師の続きでもやっていようか、と思っている。どちらかというとゴム製のルアーのような芋虫グミも、一匹は口に入れたい。

去の雑記
HOM



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