明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



先日から原稿に合わせ、今まで完成しているカットを並べて全体のバランスを考えている。 河童の造形からスタートし、梅雨雨をあてこんで房総に撮影に行き一適も雨降ららず。次に芸人の3人組を撮影したが、撮影に向かおうと歩いていると黒雲が湧き出し、帰りには晴れ間、という、どう考えても誰かがわざと電気を点けたり消したりしているようにしか思えず。結局2回に分けて撮影した。何度も書いているが、これが私の想定より面白く撮れ、全体の底上げをすることになり異界の物共は後回しにし、最後に仕上げることにした。そして実に良い素材を撮影できた漁師の若者二人。 原稿の進行にあわせ配置していくと、芸人3人のシーンに隙間があるように感じられてきた。来年早々、3度目の撮影をすることに。私のほうも、ハードルを上げられてしまったおかげで、そう見えてきたのであろう。それに笛吹きの妻の踊りの師匠が、河童に化かされて踊らされたり、上から飛び込んできた大魚にビックリしたりの表情は最高なのにかかわらず、澄ましていたり、普通にただ座っていたりするカットが、ことごとく目をつぶっている。当初はあれだけ撮ったのだから、とたかをくくっていたら、目をちゃんと開いているカットが1カットしかない。その場のノリばかりを優先し、チェックしなかった私が悪いが、こんなことがあるとは思わなかった。当人はつぶってはいけない、と意識しているにもかかわらずである。撮影現場をビデオにとって、どれだけすごい瞬きを始めるのか確かめてみたいものである。前回の撮影では、全員が知り合いであることを利用し、普通に談笑しているところを撮影したが、漁師の若者二人に使った、表情を作る方法で一人づつ撮ってみようと思う。 K本に行き、笛吹き役のMさんと話していて、来年の干支が蛇だと知った。そういえば年賀状をまだ作っていない。作中に赤背黄腹の蛇が出てくる。実際に蛇を撮影したカットを元に制作したが、なんだか赤い透明なゴム製で、中から発光しているようになってしまった。まあ堅気?の蛇でなく、異界の住人ということでかえって良いだろう。 この蛇は、脚にからまりどこへでも連れて行ってしまう能力があるようである。しかし行動は迅速だが、結局、お前らはいらない、ということになり、活躍する場面はないが、絡まったらこうなる、というカットを制作してある。河童が見初めた娘のふくらはぎに絡まる蛇である。堀辰雄はこの作品を「なんと色つぽいのだらう」と評した友人の話を書いている。かなり想像力の発達した友人のようだが、色気といったら、作中、お転婆だから行き遅れているのだ、といわれてしまうこの娘が担当するしかない。この作品を手掛けなければ、娘のふくらはぎに蛇をからませる機会はなかっただろう。十二分に食い込ませてある。無言でこんな年賀状が送られてきても、と考え、台詞を横に抜書きしておくことにしよう。

去の雑記
HOM



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