明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



午後、古石場文化センターに音楽スタジオの予約にいく。二月から三月にかけて3回、計14時間。T千穂の常連のトラックドライバー2人と借りることに。私がぐんと年上なのでリーダーなどと呼ばれたりするが、リーダーがただの使いっぱしりであることは良くあることである。15の時好きだったものは一生好きだという話を訊いたが、私は確かにそうであるが、周りを見渡すと卒業者ばかりである。以前10年ぶりに会った友人は、10年の間に様々なものを背負い、作り上げてきた自分という物がある。そこへ昔のままの私が現れ、会うのは1週間ぶりみたいな顔をしているので、いきなり対処できなかったと後で訊いた。スタジオでは、ビートルズの大ファンであるYさんをボーカルに、まずビートルズをやることになっている。ポール・マッカートニーは解散後に、ギター1本持ってジョンのアパートを訪れた。するとジョンに、今は195○年じゃないんだから、来るときは電話してからにしてくれという。怒って帰るポール。これが2人の最後だった、と何かで読んだ気がする。昔読んだので正確ではないかもしれない。考えてみると、周りから見れば私もポールのような振舞いで、実は呆れられているかもしれない。卒業者のフリぐらいできなければならないだろう。そうこうして卒業真近の年下の2人を捕まえスタジオへ、というわけである。私には二人がかつての同級生に見えてしまっている。
T千穂にて恒例の専門学校時代の連中と忘年会。Sさんはもうシリコンで河童の頭の型を取り、三つ作ってきてくれていた。 私以外は金工科である。陶芸科の連中は沖縄から岩手まで散らばっていて簡単には集まれない。途中母まで来てしまい、畳に座れないのでカウンターでドライバーのSさんやKさんに挟まれ楽しくやっていた。一応私にも演技プランというものはある。子供の頃の余計なことを喋ってくれては困る。それにしても年寄りの相手をしてくれる人ばかりで有難いことであった。忘年会は一本〆にて今年も無事に。



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