先日展示が終了したギャラリー・ビブリオには堀ゴタツがあった。さすがに中身は電気化されていたが。コタツは室内全体が暖かくない時代の物であり、エアコンで暖かいと、入る人は少ない。それはそうである。私の実家にも昔あって、季節になって畳をはずしてコタツを設置するのが楽しみであった。コタツといってもやぐらコタツで、今のような折りたたみ式ではない。私は設置していないやぐらの中に入って遊ぶのが好きだったらしく、何が楽しいんだか遊んでいる写真が残っている。 先日の早朝、ラジオで確か鈴木杏樹がいっていたのだが、堀ゴタツを考えたのはバーナード・リーチだという。リーチは日本で活動し、民芸運動にも影響を与えたイギリスの陶芸家である。日本式に座るのが苦手で考え出したらしい。掘ゴタツというと、もともと古くから日本にあったものだと思い込んでいたので、寝床でボンヤリしながら『本当かよ?』と思ったが、そういわれれば、いかにも下半身がギシギシときしみそうな人物である。しかしそんな状態で聴いた話なので、本当かどうか責任はまったく持てない。 ロックンロールという言葉は、アラン・フリードという米兵が日本に進駐していた時に陶芸の里を見学し、ロクロが回転しているのを見て思いついた。という話。もっともこちらは私が飲んでいる席で思い付いた冗談である。普通私はでまかせをいって相手に信じられてしまった場合、耐えられずにすぐ白状してしまうのだが、この時は、それをしなかったのかどうだったか。専門学校の連中に話した話を某県の陶芸の里の飲み会で、陶芸家の卵から聞いたのは数年後である。あの先輩が喋ったなら、この話がここに伝わっていてもおかしくないな、と納得したが、デマというものは伝わるものだと驚いた。もちろん私は良いことを聞いて、この飲み会に参加して本当に良かった。くらいの顔をしたであろう。だいたいその中で感心していたのは私だけだったので、他の連中はすでに聞かされていたことは間違いがない。その話が彼の宴席上の十八番になっており、話すたび相手に喜ばれていたとすれば、発案者冥利に尽きるというものである。アラン・フリードは実際に発案したDJであるが、今思うとバーナード・リーチにしておいても良かった。いやそれは陶芸家の卵には可哀想すぎる。
過去の雑記
HOM