先日のお祝いの会で、始めて鏡花に接した人がほとんどであったろうが、私としては鏡花ファンのあこがれの聖地であるところの深川を、皆さんただ酔っぱらって踏み歩いているだけ、というのがなんとも残念である。なにしろそこら中に『深川もの』に登場する場所がある。 私が越して来たのは二十代も最後の頃であった。何度か書いているが、たまたま『葛飾砂子』を読んでいたら、登場人物が門前仲町の方から船に乗って、こちらに向かってくるではないか。思わず窓の下を流れる川を覗き込む。鏡花の乗る船?を追って、夜中にマンションを飛び出し、目と鼻にある現在は震災や空襲でチビてしまって全文判読不可能な石碑をあらためて眺めた。『「おお、気味悪い。」と舷(ふなばた)を左へ坐りかわった縞の羽織は大いに悄気(しょげ)る。「とっさん、何だろう。」「これかね、寛政子年の津浪に死骸の固っていた処だ。」』間違いなく鏡花が船から見上げたことは間違いがなく、その碑には『長さ二百八十間余の所、家居(いえい)取払い空地となし置くものなり。』と刻まれていたのに、すっかり無視され現在は人家だらけで海岸線ははるかかなたである。 私にしても深川に住んでいながら『深川もの』でなく『房総もの』の『貝の穴に河童の居る事』とは、と思わなくもないが、東京大空襲ですっかり焼き払われており、この辺りを撮影し、当時の風情を表現することは不可能である。 夜T千穂へ。隣にはいつものように酔っぱらって鏡花ファンの聖地を汚しつづける63歳である。アバラ骨折中で比較的大人しい。その日、ヨロヨロ10メートルほど小走りしている所をムービーでとらえたが、前のめりになり、転ばないように耐えると自動的に走ってしまうのである。これでガードレールや薮や地面におでこから突撃する仕組みが解明された。私の検索キーワードにこの人物の頭文字が出ると友人から教えられ、できることなら頭文字も避けたいのであった。
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