ようやく人心地ついて個人的な本の発送の準備をしている。発送でなく準備、というのが私らしい。その間もスライドとともに流した今拓哉さんの朗読を聴いている。鏡花は体言止めなど、様々な術を駆使し、鏡花独特の世界に読者を引きづり込む。 私は本を読んでいると、常に頭の中に映像が浮かび続ける。今“鏡花独特の世界に引きづり込む”と書いていたら黒紋付き姿の鏡花が河童のように。必死で嫌がる人間を沼に引きづり込む姿が浮かんでしまった。河童は人間の尻子玉を抜く、というが、それは水死体の肛門は、ぽっかりと開いているそうで、それが河童が尻子玉を抜いたせいだ、となったらしい。それはともかく。 鏡花には判りにくい表現も多く厄介ではあるが、それも引きづり込むためのツールであろう。訳の判らないうちに鏡花世界にはまってしまう。私は一度だけ友人等と四泊五日のツアーでニューヨークにいったことがある。もしもう一度来ることがあったら、濃縮のそばつゆを持参し、就寝の前に杯に一杯飲んで、この変な物ばかり喰う国を呪う気持ちを鎮めることにしようと思ったが。(その日はライブハウスでフライドチキンに透明なシロップが添えられていた)さらに長期滞在の場合は鏡花本を持参するべきだ、と考えたのを覚えている。周りの空気をたちどころに一変させ加湿してくれるであろう。 それにしても鏡花には縁がない、と思われるご近所の方々が、飲酒しながらに関わらず、ジッと一時間も画面に集中し朗読に聞き入ってくれたのは嬉しかった。もっともあれを聴いたおかげで読まないで済む、という不埒な輩もいたが。今回は録音であったが、これは是非生で聴いてみたいものである。私は事前にバージョン違いを聴いていたが、一息で長く語るほど迫力が増すのが判った。生であればさぞかし。
過去の雑記
HOME