明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



表紙の河童の三郎は制作時に、ある有名なジャズアルバムのジャケットが頭の中にあったのは明白だ、と先日書いた。そのジャケットと三郎は、一見たいした隔たりがあるように思える。なので久しぶりにクイズにして、正解者にプレゼントも良いな。と考えていたが、出版のお祝いの時に、スライドで早々にバラしてしまった。後で考えると、このアルバムを知らないと面白くなかったろう。客筋からすると知っている人はほとんどいなかったに違いない。まったく反応がなかった。マックス・ローチの『ウイ・インシスト』である。当時の公民権運動を勇気付けたといわれる。いわゆる“プロパガンダジャズと称された問題作である。K本の常連席ではありません、といったらようやくウケた。 以前知人が一人でK本に飲みにいって、デイープサウスの黒人ばかりの店に一人で入った白人の気持ちだった、と訊いて大笑いしたが、実際はそんなことはなく、どんな未開の土地へもパンツを履かせにやってくる、白人の宣教師に怯えているような心優しい人ばかりである。その白人の気持ちだったといった人は、南青山で有名な店を経営している人物であるが、私が二十代で始めてその店に入った時、ただ商品の値段を尋ねただけなのに、何が気に入らないのか怒られているようであった。しかし現在、フェイスブックなど観る限りすっかり変身して、いつもニコニコしていて随分話が違う。やはりパンツを履かせられたくなかった口なのであろう。というわけでこの三郎。特に何を考えて制作したわけではなかったが、「俺にパンツを履かすなよ」。という三郎にしたかった。

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一日  


ようやく人心地ついて個人的な本の発送の準備をしている。発送でなく準備、というのが私らしい。その間もスライドとともに流した今拓哉さんの朗読を聴いている。鏡花は体言止めなど、様々な術を駆使し、鏡花独特の世界に読者を引きづり込む。 私は本を読んでいると、常に頭の中に映像が浮かび続ける。今“鏡花独特の世界に引きづり込む”と書いていたら黒紋付き姿の鏡花が河童のように。必死で嫌がる人間を沼に引きづり込む姿が浮かんでしまった。河童は人間の尻子玉を抜く、というが、それは水死体の肛門は、ぽっかりと開いているそうで、それが河童が尻子玉を抜いたせいだ、となったらしい。それはともかく。 鏡花には判りにくい表現も多く厄介ではあるが、それも引きづり込むためのツールであろう。訳の判らないうちに鏡花世界にはまってしまう。私は一度だけ友人等と四泊五日のツアーでニューヨークにいったことがある。もしもう一度来ることがあったら、濃縮のそばつゆを持参し、就寝の前に杯に一杯飲んで、この変な物ばかり喰う国を呪う気持ちを鎮めることにしようと思ったが。(その日はライブハウスでフライドチキンに透明なシロップが添えられていた)さらに長期滞在の場合は鏡花本を持参するべきだ、と考えたのを覚えている。周りの空気をたちどころに一変させ加湿してくれるであろう。 それにしても鏡花には縁がない、と思われるご近所の方々が、飲酒しながらに関わらず、ジッと一時間も画面に集中し朗読に聞き入ってくれたのは嬉しかった。もっともあれを聴いたおかげで読まないで済む、という不埒な輩もいたが。今回は録音であったが、これは是非生で聴いてみたいものである。私は事前にバージョン違いを聴いていたが、一息で長く語るほど迫力が増すのが判った。生であればさぞかし。

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