明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



金沢の鏡花記念館に展示するプリントをお願いするため麻布十番の田村写真へ。人形を作って自ら撮影する立場からすると、実際のサイズより拡大される醍醐味というものがある。『貝の穴に河童の居る事』の場合、書籍のサイズからしてむしろ小さくなってしまうのはしかたがない。主人公の河童を中心に選ぶ。そこでまず表紙。そして当初表紙になるはずで格下げになったカットがA3に拡大された。始めて見たが、甲乙付けがたい迫力で思わず声を上げる。三郎は90センチ程度らしいが、実物大にしたらどうなることであろう。 私の創作行為というのは、イメージした物を頭から取り出し、やっぱり在ったと確認したい、というのが根本である。一度書いたが、今年に入って目の前に現れた物がイメージしていた物を超え始めている。こんなことは考えたこともなく、それがただ己がイメージの貧弱さを示しているようにも思われ、手放しで喜べないところではあるのだが。ごく最近の例でいうと、ただお調子者の哀れで醜い河童のつもりで制作を進めていたのに、三郎の想定外の真剣な眼差しに、キャラクターに微妙な方向転換を施すことになった。自分の作った物に教えられるという初の体験をした。 『貝の穴に河童の居る事』から上記の三郎2カットに河童と対面する柳田國男の灯ともしの翁。鏡花の盟友である柳田國男と河童の共演には、これ以上の共演の機会はなかろうと未だ自画自賛中である。それに大団円を迎えるクライマックスの全4カットに金沢で撮影した鏡花のモノクロ1カットを12月初旬まで展示の予定である。 田村さんが藤圭子が亡くなる1週間前に入手したアナログ版を聴く。なるほど天才なり。私はもともと演歌は好きでなかったし、特に盛り場演歌はお茶の間に流すべき物ではない、とさえ思っていた。まあこれは小学生に解ろうはずがない。そうこうしてT千穂に着いたのは10時過ぎ。出演者がいたので、さっそくプリントを披露。“平地人を戦慄せしめて”いるところに横からノコノコと陸河童のKさん。人の労作をスポーツ新聞みたいに持つんじゃない!

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