次回の東京オリンピックには当初の予定より予算が多くかかるそうである。結局そんなことになる。 私はカール・ルイスを二回観に行ったくらいで、観る分にはスポーツが大好きである。前回の東京オリンピックは何しろ初の肉体の祭典であった。TVで真剣に観ていたこともあり、この年代の子供としては記憶が鮮明である。 私の中に故郷東京があるとしたら、間違いなく東京オリンピック以前の、ということになる。その後の東京は様々な物ができるし、子供としてはお祭りの中にいるような気分であったろう。結果気づいてみると、東京の変化に無感覚になってしまい、何がどうなろうとほとんど心が動かない。亡くなった父は戦争中のことをほとんど口にしなかったが、霞ヶ浦の航空基地の近くで子供時代をすごし、上官に常に殴られている若者を観て、何故あんな金ボタンに憧れて全国から集まってくるのか、と子供心に思ったという。あこがれと現実には隔たりがある、という話だが、東京に育った私からすると、何もわざわざこんな所に、と思わなくもない。しかしかくいう私も東京オリンピック以前の記憶は忘れ難いし、かなりやかましいが、聴こえてくる祭りの音を聴きながら一人閉じこもって制作に集中する。これが一番である。4キロ四方誰も住まない廃村や、狐が鳴くような所でも暮らしたが、慣れれば慣れるほど電気が消えるように制作意欲が薄れていくという実験結果が出ている。世の中になくても良いものばかり作ろうとする私にとって、それは当然であろう。それはともかく。 いずれ自分の故郷東京は2回目の東京オリンピック以前だ、という人間が現れるであろう。彼にそういわしめる東京というのはいったいどんな姿なのであろう。
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