明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



フェイスブックをやっていて高校時代の級友と再会した。といっても4月にもらったメールにまったく気づかず、慌てて返信したところである。どうもフェイスブックは要領が掴めないが、こういうことがあるならまんざらでもない。柔道の授業で彼と組み合っていて足の親指の爪がはがれそうになり、随分と恐縮し、心配してくれたのを覚えている。墨田区在住だというから会おうと思えばいつでも会える。 会えるものなら一度会ってみたくてときおり検索するのが、幼稚園で出合い、小学校の三年になるかならないかで転校していった成田君である。彼が何故印象に残っているかというと、まだ田んぼや畑の沢山あった東京オリンピック以前の葛飾区の、私がもっとも子供らしかった、と自分が思える時代の想い出が、彼とともにあるからである。一緒に地面に穴を掘ったり何かを隠したり、ほとんど小動物じみた時代であった。私は今でこそ制作に集中していると、特に今年は一日に3回しか“立ち上がらなかった”日があるくらいであるが、当時はとにかく落ち着きがなく、多動症一歩手前という感じであった。 私の実家の隣には旧国鉄のアパートがある。その庭には2人で随分色々な物を埋めたのを覚えている。家の鍵だったり、ビー玉だったり泥団子だったり。間違いなくまだ埋まっているのはコーヒーの瓶に洗濯糊を満たし、その中に入れた昆虫採集用の防腐剤を注入したフナである。理科室の魚の標本はテグスかなにかで蓋からぶら下がっているのだろうが。それが我々には判らない。洗濯糊を入れれば途中で浮かんだままになるだろう、と思うところが子供で、当然下に沈んでしまう。バカ加減が同じくらいなのでウマが合ったのであろう。 あまりに落ち着きがなく、しまいに児童相談所に連れて行かれて、面白くもない大きな積み木などで遊ばされ、いたいけな子供を演じるはめになったのもその頃である。結局私をジッとさせるには、絵を描かせるか本を読ませるしかなかったわけである。あげくに。一日3回しか立ち上がらないほど落ち着いた大人になった私である。成田君。君はいったいどんなことになった?

過去の雑記

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