明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


数年ぶりに検査したクリニックは、生活改善をして数値を良くし、美人に褒められたい、という患者の心理を利用しているかのように医師が美人ばかりであった。駄目になって美人に叱られたいと通院する輩もいないとも限らないが。私はどちらかというような余計なことをここでいうつもりはないが、脅かされるなら美人の方が怖いことは間違いがない。あれから玄米を食べている。今は便利でレンジでチンであるが。そのおかげか、もともと通じが悪い方ではなかったが、毎朝、一本!それまで!的に、はっきり勝負をつけてから外出している。 作りかけの川端康成と内田百間が抽き出しからでてきた。三島で『潮騒もしくは真夏の死』を手掛けても川端で『伊豆の踊り子』を手掛けるはずもなく、『片腕』の、女から外して借りてきた腕をかき抱く川端の制作を考えていた。そんな有様でも、無表情で見開かれた猛禽類的目玉のままの川端は面白かろうと考えた訳である。内田百間では『ノラや』を考えていた。百間さえできれば始めるつもりでいて、ノラは本物の子猫を使うつもりで、近所で一応口では動物好き、といっている年金暮らしの人物がいるので、任せることも考えたが、こんな実のない男はおらず、女の尻ばかり追いかけており、猫なんて放ったらかしに決まっていて、可哀想なことになっていたろう。脇役で夏目漱石を登場させる予定でおり、それが今回、柳田國男の起用ににつながったはずである。こう書いていると、なんだか随分昔のことのようである。 某文化センターの職員と飲んで帰ると、風濤社の編集者から新小岩の書店から『貝の穴に河童の居る事』の注文が5冊入っており、著者割引で購入可ですが、というメールが着ていた。確かにアレを新小岩で5冊とは、どう考えたって母である。知人に差し上げるのはかまわないが、アレを貰って喜ぶ人にしてくれといっている。

過去の雑記

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