以前大阪まで活き人形展を観に行ったがことがある。出不精な私にしては今思うと信じられないが、かつての名工の仕事ぶりが観られて大変勉強になった。多くは見世物興行に使われた物であったが、しかしリアルといっても、“リアルな死体”が多く見受けられたのも事実であった。医学用に供される模型というならともかく、リアルであれば活きているか、というとそれは別な話であることが良く判った。私は作品を写真に撮る場合、実際の人物を撮影したかのように錯覚させるつもりは毛頭ない。だいたいそう見えてしまったら私は単に写真家で、人形制作者としての存在がなくなってしまう。それを判ってもらう為ではけっしてないが、必要がないので、粘土の質感は案外丸出しである。人には人とはこうなっているものである。という経験によって得た常識を持っている。そこを押さえると、粘土だろうとリアルに見えてしまう。こうなっているからには、これは人である。というように。 一方今回制作した河童の三郎は、なにしろ架空の生き物である。そもそも実在しないのであるから、どう作ろうと私の創作物だと判る所がすがすがしい。間違われるとしたら実物大に思われることくらいであろう。だがしかし。 先日、めったに会うことはないが、私が黒人のジャズシリーズを制作していた二十代の頃からの知人と会った。できたての『貝の穴に河童の居る事』を見せて、ひとしきり苦労話など披露をしていると、知人が表紙の河童をさして「誰が中に入ってるの?」といった。私は耳を疑ったが、入ってませんよ。私が作ったんですよ。というと「ああそうなんだ」。と答えたから冗談ではない。長年の知り合いといえども、私が彼の営業内容を詳しく把握していないように、彼も同様だと思えばそうなのであろうが・・・。『そっかー。誰かが中に入っていると思うパターンがあったかー』。
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