金沢の鏡花記念館に、間もなく河童の三郎や三郎と向かい合う柳田國男のプリントが展示される。学芸員の方から連絡をいただき、鏡花のプラチナプリントも1点追加されることになった。最近写真の古典技法、特に耐久性にすぐれたプラチナプリントを試みる人が増えたようであるが、“泉鏡花のプラチナプリント”と発音できるのは、この一点しかない。そういってしまえば、“泉鏡花のカラープリント”と指差せるのも私のプリントぐらいである。こういったことは大事なことだと私は考えている。あらためて見ると、怪人二十面相をあえてプラチナプリントにしているのも、二十面相のプラチナなどもう永久に作られることはなかろう、と一人ほくそ笑んでいたのは間違いがない。 先日、地元の文化センターで鏡花の朗読会を、スライド上映とともにおこなった。鏡花作品には皆さん馴染みがなく、鏡花作品の舞台となる深川を、ただ酔っぱらって踏み歩いているだけ、というのが残念である。と書いたが、地元の文化センターの職員でさえ知らないのだから話にならない。鏡花記念館職員のブログに書かれた“〈深川もの〉の聖地である汐見橋を渡って州崎をめざし、州崎神社で“津波警告の碑”を確認、長年の念願を10年越しで果たすことができたのです。”を見せて、「鏡花ファンにしたら聖地なんですぞ」。と昨日職員に話したばかりである。すると、これを書いたのは本日電話をいただいた方であった。私が先日、やはりブログに書いた碑にはたどりつけなかったそうである。電話しながらつい立ち上がって、このすぐ目の前にあるんです、といってしまった。私は『貝の穴に河童の居る事』で鏡花がモデルにした房総の神社で撮影したが、あまりに鏡花が書く通りなのに興奮し、下から上がってくる鏡花が見え、すれ違いざま道をあけたくなったほどである。ファンとはそうしたものである。深川に住み、酔っぱらって踏み歩いているだけなのは実に残念である。
過去の雑記
HOME