圓朝は言文一致運動に貢献した近代文学上の重要人物として、もっと評価されるべきではないだろうか。口述筆記により作品を残した、自作の朗読が天才的に上手かった作家。といえなくもない。 晩年、一時的に高座に上がったが、もっぱら新聞連載などが主な活動になる。江戸的なる物を象徴する圓朝は、それ故に明治維新以降、地方から流入する江戸弁も通じないような新東京人に噺家として合わせていくことができなかったようである。 先日、行灯の光でズミクロン開放で撮影した所、ピンぼけ連発。特に利き目の乱視が酷いのだが、たまりかねて先日母を連れて行った眼科にいく。瞼をめくって検査をするが、そういえば小学一年の初めての検査の時、この瞼をくるっ、とする感じが、眼球を一回転させられた、と思い込んで、しばらく目の検査が恐怖だったことを思い出した。結膜炎を起こしていて、目の表面が傷だらけだという。とりあえずそれを治して、ということに。
タウン誌深川 常連席にて日が暮れる
アートスケープ 展評『深川の人形作家 石塚公昭の世界』
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