明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



噺家が高座で使う湯飲みは、寄席側が用意した物を使うのが通例らしいが圓朝は自前の湯飲みを用意した。単に衛生面を考慮した、という説もあるが、圓朝の名声に対する同業者の妬みから、水銀を混入されるのを避けたともいう。たしかに場合によって男の嫉妬は、むしろ女より凄まじい物がありそうである。 そもそも圓朝が創作を始めたのは、鳴り物道具仕立ての芝居噺で人気を得ていた時に、師匠の二代目三遊亭円生にスケ(助演)を頼んだ所、その日の圓朝の演目を先にやられてしまった。用意した道具などが使えない。これが連日続き、たまりかねた圓朝が、先にやりようがないオリジナル作品を創作したのがきっかけであった。師匠の嫉妬からの嫌がらせが創作者圓朝を生んだというわけである。これにより二代目圓生は圓朝を語る時、必ず登場するセコイ男として残ってしまった訳である。

アートスケープ 展評『深川の人形作家 石塚公昭の世界』

HP



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )