圓朝の残された写真は知っているだけで四種ある。うち一つはネット上で見つけた写真か画か判然としない物。もう一つは画質が悪くて、晩年の禿げ具合がかろうじて判る物。残りの二つは比較的高画質な、チョンマゲを切って間がなさそうな物。もう一つが伝えられる圓朝の風格その他がもっとも現れている物である。 画でいうと、その写真を参考にしたのは間違いない、寄宿していた画学生に圓朝が描かせた物。何故か顔の長さが表現されていない。全く似ていない河鍋暁斎作品は、角川の全集別巻の解題によると、酒興にとんだ奇人暁斎が圓朝を揶揄した画という説得力に欠ける解説がなされている。問題は肖像画の傑作、鏑木清方の圓朝である。これは『後世残されてある写真をもとに描いたのではなく、あくまでも「瞼の人・圓朝」を永遠に残そうとし、清方の目に残っている圓朝の俤(おもかげ)のみを追求した』そうである。リアルに描かれる画ほど、写真を写さざるを得ないが、圓朝はそうでないことを示すかのように、写真で残されていない角度で描いている。私も立体作品であることのメリットを生かすためにあえて違う角度から撮影するが、今回私が圓朝作品の完成に手間取っているのは、清方に“瞼の人”を残されてしまったせいである。表現とは。表現することとは。
タウン誌深川 常連席にて日が暮れる
アートスケープ 展評『深川の人形作家 石塚公昭の世界』
HP