明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



新型コロナ騒動が、ある程度収束したとしても、様々なことが一変するだろう。寒山拾得に向かうにあたり、何某か作用することは間違いない。そう思うと、椿説男の死を延期せずに決行したことも、今年の後半作用してくるだろう。そのせいで今年の暮あたりは、予定外の妙な所に立っている気がする。そもそもいっぺんに2つのことに責任が持てない私は、三島を終え,返す刀で寒山拾得と行きたい。 インクジェットのロールペーパーは長辺はそれなりの長さが可能であろう。絵巻調で行くのはどうだろう。そこには月に虎、寒山と拾得、虎に乗った豊干、また豊干と虎と寒山と拾得が眠りこける四睡図の数メートルの絵巻。そこには時間の経過も詰め込まれ、それぞれのパートは、手拭き和紙に額装。 実は良くあることなのだが、今まさに書きながら思い付いたことを書いている。しかし、新たに作るからには独自の寒山拾得を、というのは危険である。人形を写真で、その時点でかなりなことをしでかしている状態である。自由なモチーフだと曾我蕭白などを見て勘違いしてはならない。能面師の謙虚さをもってあたらないと、寒山と拾得はゲラゲラ笑いながら、どこかへ去って行ってしまう気がする。




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