明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



江東区芭蕉記念館のある森下駅を歩いていたら、芭蕉いろいろとかいう、芭蕉の肖像画のパネルが20枚ほどズラリと並んでいた。これがまた見事なくらい、門弟の描いた肖像画が反映されていない。またわざと門弟達の作品を外したとしか考えられない。理由は判らないが、俳句の枯れたイメージのためなのか、どうしても青林堂の創業者みたいな人物だと思い込ませたいらしい。一体目の芭蕉像が記念館に収蔵された時、門弟の肖像のみを参考に制作、と掲げるようにいったのだが。ちゃんとやってくれているだろうか。多勢に部勢、私の芭蕉はイメージが違うといわれている。そもそも私より年下なのに、と半分腹を立てて作った。全国を歩き回り、還暦前に死んでいる人物である。少なくとも2体目はそれを掲げることを条件にしよう。 葛飾北斎の新作の撮影場所が、コロナで閉鎖。画室で海女と蛸の絡みを凝視する画狂老人を考えていて、そのために前のめりにしていただけに残念である。写真というものは、無いものは撮ってはいけないことになっている。ただ考えてみたら、蛸と絡んだ北斎。数百メートルの大女のヌードにすでにタコは登場している。多すぎであった。円谷英二ではないがタコを使うのは面白い。撮影後食べて美味しいし。 今後随時、今まで作ってきた人物を陰影のない石塚式ピクトリアリズムで新たに撮り直して行くつもりであるが、寺山修司もまだである。寺山と永井荷風はどんな街に持っていっても絵になる双璧である。ところが寺山は何かやってもらおうとすると何もやってくれない。正確にいうと突っ立っている以外、やってもらうことを思いつかないのである。本人はどんな鳥も想像力より高くは飛べないだろうと言っていたのだが。またいずれ。

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