明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



それにしても自粛である。私は縁がなさ過ぎて、生まれて初めて発音したのではないか?自粛なんて言葉が辞書に載っていたなら、これほどの親不孝にならず、まして三島の次は寒山拾得だ、などと口走ることもなかったろう。そう思うと、そんな物が載っていなくて良かった。その代わり、個展に来るようにいったのはの毎日ふげん社の前を自転車で通勤の友人だけであり、すでに3回来た。そんなことはともかく。 寒山拾得は最初の森鴎外で読んだが、実に奇妙な話である。何をいっているのか私には良く解らないが、何故か気になる。私の経験によると、頭で理解できているようなことやモノはおおよそ作品として手掛けるに値しない。頭はかしげながら、ヘソ下三寸辺りは反応している。そんなモチーフこそが良い。 寒山拾得が書いたとされる寒山拾得詩なるものがあり、以前、たまにページをめくっていたのだが、引っ越しの際に持って来そびれた。勿論漢文なんて読めないので翻訳だが。寒山拾得は、絵画その他、星の数ほど残されており、親しまれたモチーフであることがわかる。だがしかし、調子に乗って己の解釈を加え、これが私の寒山拾得だ、なんていうのは危険である。むしろ能面師の面打ちの如き謙虚に対するべきであろう。まずは人形作って写真に撮る、という手法を用いるだけで、先ずは上出来とする、ぐらいの心持ちで望むべきではないか。あの意味あり気に薄ら笑う不気味な2人組には油断は禁物という気だけはする。




6/7まで会期延長。



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