明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



私が意識して来たことといえば、余計なことは知ってはいけない、身に着けるな、学ぶべきことは必要になってからで充分。ということであった。最初期の架空のジャズマン、ブルースマンを作っていた頃は、楽器やスーツの形など、記憶にないこと以外は頑なに資料を参考にすることはしなかった。一度入った物は出ていかない。考えて見ると、学ぶということは、自分に備わっていないものを取り込むことでもあり、無自覚に学ぶことは危険が伴う。怠け者の言い訳のようではあるが。 今の社会は情報に満ちており、そこから自分を守るのは意識してそうしない限り無理であろう。 勉強したことといえば、すでに廃れていたオイルプリントに挑んだ時だったろう。あればただやりたくてやったことなので、画像が出た時点できっぱり足を洗った。 その後自作の人形を撮り個展をするようになり、だったらあれを、と再開し、個展を連発したのが2000年に入ってからで、少々早すぎて空気に合わなかった。その後古典技法をやる人口が増え、今こそあれを、と古典技法のグループ展に参加した。 あの時、熱に浮かされたように、面倒な技術に挑んだのは、最後、自分の作品をオイル化して終わるためだったのだ。と以来思い込んでいた。 ところが我が大リーグボール3号こと、石塚式ピクトリアリズムは、イヤに私の性格、その他に合った手法だ、自分で考えるとたまたま、そういうことになるのか?なんて書いていたのだが、オイルプリントの孤軍奮闘が遠因となり、作用していたことに気がついたのはつい今月10日のことである。どうしても表層の脳は気が付くのが遅い。

6月7日まで延長






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