明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



寒山拾得に髭を描かない、にはやはり理由がありそうである。あの独特のイメージ、髪はボサボサ服はボロポロで爪は伸び放題。なのに髭はないことがほとんどであり、仙人とは一線を画す。奇怪な童子じみたイメージに、髭を描かないことも貢献しているだろう。イカれた曾我蕭白ですら描いていない。最初からこの二人を手掛けるには作法のような物があり、それに準じるべきだ、とそんな気がずっとして来た。型というものは、そうするにはそうする理由がある。 本当のことなどどうでも良い、と言い続けてきた私が、実在した人物から説話上の人物を作ろうとしたとたん、型がある、先達に準ずる、などと言いだすのは、自分で言っていて、この期に及んで何をいってる、と思うのだが、例によって何故だかそう思うのである。 最近矛盾は矛盾として、そのまま解決せずに抱え込むことも有りではないかと思うようになった。作品における矛盾に耐えられずにグループ展の出品作を会期中に2度も差し替える醜態もさらした。 このモチーフも完成の暁には、何某かつかんで、初めから知っていたような顔をするのであろうか?最初から頭で理解できるようなモチーフは取り組みに値しない。開始前は、まずはこんなところであろう。





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