明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



三島がドナルドキーンに宛てた最後の手紙に私もとうとう魅死魔幽鬼夫になりました。と書かれてあったそうだが、仮面の告白に書かれた、幼い時三島が好きだった絵本、王子が竜に噛み砕かれ苦しみながら死ぬ描写。しかしその度生き返るのか気に食わず、その部分を隠して読んだ。幼くしてすでに魅死魔である。 たまたまその文才のために小説家として生きたが、極端に言ってしまうと、それ以外のこと全てが、死に行くためのお膳立て、彩りに過ぎず、それこそが仮面ではなかったか。一般的にその仮面の部分だけが論じられているように私には思える。仮面部分にはまったく興味がないので一切触れず、三島の作品という衣を着せて魅死魔幽鬼夫を描いて見た、というのが今回の椿説男の死である。 死ぬ直前のインタビューで、自民党には利用されない、見ていて下さい。といっているが、あの手この手、あらゆる手段を講じてあらゆる人達を利用し、自分のシナリオ通りに魅死魔を全うし、大満足で死んでいった希代の人物。というのが私の印象である。某雑誌創刊号に掲載された生首は、まるで温泉に浸かって大満足の表情である。 薔薇十字社版男の死で好みのガテン系人物に扮し、死んでいる所を撮らせていたことを知ったとき、私がビンゴ!と小躍りしたのは、私の見立が正解だと思ったからで。仮面を脱いで最後の最後ににやりたかったのは魚屋やヤクザや兵隊に扮して死んでみることであった。そこには天皇も憲法改正もない。あんな嬉しそうな三島は見たことがない、と編集者はいった。 しまいに自衛隊員は、説得は通じない、もはやこれまで。と断念し割腹、という悲劇の花道の演出にヤジをもって利用されている。あの時肝心の先鋭部隊は富士の訓練で不在であった。調査ミスといわれているが果たしてそうだろうか。用意周到な三島である。訓練を共にし汗し、少なからず三島に共感を示した隊員がいた先鋭部隊である。一人立ち上がっていたら花道は台無しであったろう。

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