明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



ホームに居る母と電話で話す。コロナ前とはまるで別人で、耳が遠くなったか?というくらいにボンヤリしてしまっている。アメリカの妹には話すなら今のうちかもしれないと伝える。もっとも気に病んでいた事も、ついでに忘れているようだからむしろ平和ではある。ホームに入る前の同居中、止めるのも聞かず方々歩き回り、思い込みが強く、私のいうことをまったく聞かない。外ヅラは良いから他人の言うことの方を聞いた。結局、歩き回って脚を悪くした。あの当時を思うと仕方がないとも思う。   先の予定など考えず、目の前のことだけに集中する、それが死の床で、作り残しの後悔を避ける方法だと思ったが、これから作る作品が、いくつか浮かんで来ると、その分後悔の可能性の元が増えて来る訳で、久しぶりに粘土に触る。 フェイスブックが6年前の今日、三遊亭圓朝制作中だったと知らせて来た。結局、寒山拾得周りのラインナップを固めることにしたが、昨年暮れは、何がやれるか考えていて、明治時代の寄席の高座を再現しようかとも思った。圓朝を撮影したら、圓朝どかして当時大人気の娘義太夫を高座に、とも考え、その場合鶴澤寛也さんに相談しようと、考えていたのだが。



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