明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日3日、義太夫三味線の鶴澤寛也さんが亡くなった。昨日、勝浦の石段に雛人形を並べる神社は泉鏡花作『貝の穴に河童の居ること』の舞台でそこで撮影した、と書いたばかりでしである。2016年の深川江戸資料館の『深川の人形作家 石塚公昭の世界』でスライドを映し、語り竹本越孝さん三味線鶴澤寛也さんで 上映したのは満員となり、お二人共鏡花世界にピッタリであった。 2005年、初出版の『乱歩 夜の夢こそまこと』の人間椅子の女流作家〝佳子”役を探していた。国立劇場で義太夫を観た際に寛也さんを紹介され、お願いすることになった。眼鏡のカットは「教育ママみたいで嫌」とはなったが、出版記念ライブでも出演いただき珍しい曲弾きを披露いただいた。 いつだったか、銀座で受賞式があり、まだ時間がある、と連絡があったので、行きつけの煮込み屋にお連れした。何しろ着物姿の完全武装である。普段騒がしい常連客が唖然として大人しかったのが可笑しくてならなかった。神楽坂の鏡花関連の催事の際、あまりに空腹で路地の陰でおにぎりを食べてたら寛也さんに見つかり「アラお行儀の悪い。」なんてことも思い出す。都営地下鉄のフリーペーパーでは、私の谷崎潤一郎とも共演いただいた。 安らかに。合掌。

貝の穴に河童の居る事 前半 語り竹本越孝 三味線鶴澤寛也

https://youtu.be/rLuCrUYEkUc

 



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