明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



ある意味で昨日の続きである。養老孟司曰く〝人は頭に思い付いた物を作るように出来ている” この仕組みに従い続けて来た私は、一休禅師の迫真的肖像を描いた、曽我蛇足の描いた肖像画を元に、表情の面白さに臨済宗の開祖、臨在義玄を無邪気にも作った。作りながら義玄像を不思議なくらい目にしない事にクビを傾げ続けた。文革の影響だろうか?と思ったり。であれば今度は臨済宗を日本に伝えた栄西なら、と作ろうと思ったら、梅原猛曰く〝栄西を祖師として尊拝するのは、彼が創始した鎌倉の寿福寺及び京都の建仁寺を本山とする寺などにかぎられ他の禅寺には彼の頂相(肖像)すらない”ことを知った。 そうこうして、鎌倉時代のある禅師のエピソードを知る。名場面なのに作品化されていないようである。資料を集め、いつでも着手出来るが梅原説により、作っても展示の機会はないかもしれない。と〝ルールを覚えているような顔を”して躊躇していたが、欲望に勝てずに作る事に決めた。



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