明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



仙人が住むような深山を描く場合、自然を模してコンパクトに育てた盆栽の方が〝現世より夜の夢こそまこと”の私には都合が良いと思った。しかしそれよりもむしろ、個展一月前に思い付いた、水石、盆石の類いを拡大すれば、手のひらに乗るような石で、仙人の住う深山が創作可能なことが判った。コンパクトに自然を表した石を、逆に拡大して大自然に。慎重にいうなら、私の頭の中の、と付け加えるべきだろう。でないと山岳写真を撮ってる人に叱られるかも知れない。もっとも私の目的は仙人を住まわせるためなのだから、それで良いのである。ヤフオクを見ても様々な盆石が出品されている。使えるのはこんなディテールの物だ、と判っているのだが、これは良い、と思ったら5、6キロあったりして。つまり比較する物さえなければ石ころも岩山も区別が付かないのが良い。そうは言っても、なかなか落札するに至らない。一度書いたが、どうしてもつげ義春『無能の人』が頭をよぎってしまう。私が石など集めたら、それこそ〝本物”になってしまう恐れがある。



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