明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



貴景勝の休場により昭和以降初めての横綱・大関不在となった。貴景勝は、髷を引っ張られての審議中に、髷を触っていかにも引っ張られたとアピールしているのを見て嫌いになった。宇良は、花道を引き上げる時に、落ちてる客のパンフを拾ってわたしている所がたまたま写り、以来ファンである。私だけでなく、人はこのぐらいのことで好きになったり嫌いになったり誰しもするものだろう。 未だに初期のジャズ、ブルースシリーズが一番良かった、作家シリーズでも、人形とカメラを手持ちで街で撮り歩いていたフィルム時代が良かった、と言われるが、人間変われるウチが華であるし、審議中に髷を触っていたぐらいで嫌われる事があるのだから、気になどしてはいられない。 昔、母が最も恐れ、治らないならせめてそういう余計な事は口にはするな、と思っていたであろう事を当ブログでつい筆が滑って書いてしまった。〝快楽のために作っている”それも今に至ればたかだか人形作って喜んでいるのだから母はホッとしているだろう。だがしかし、こう見えても、背中の火焔が濡れる事を気にしてかたわらに置いて滝に打たれる不動明王の衣が、ピチピチに濡れて貼り付いていたら面白いだろう、とウケる事を考えながら作ってはいるのである。



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